食から見た現代(2) ココナッツとDV〈後編〉 文・石井光太(作家)

DV被害に遭った外国人女性たちは、在留資格や離婚や親権といった法律的な問題と同時に、精神的なダメージを負っていることが少なくない。そうしたハンディをいかに乗り越えていくのか。

FAHこすもす・主任母子支援員の鳥海典子氏(49歳)が長年見てきた中で感じるのは、ここに来る外国人女性は自己評価が一様に低いということだ。彼女たちは若くして日本にやってくると、夜の街で商品のように扱われて生きてきた。露骨な差別を受けたり、貧困などから劣等感を抱いたりすることも多かっただろう。家庭では日本人の夫からの暴力で何年間も支配され続けてきた。

そんな彼女たちが家から逃げてきても、確固たる意志を持つことができず、今後どう生きていけばいいのか思いつかないのは仕方のないことだ。そんな彼女たちの中には自力で生きていくことに不安を抱き、再びDVをする夫のところに帰ろうとする者も少なくないという。精神的な支配から逃れられていないのだ。

鳥海氏は話す。

「FAHこすもすでは、外国人の方の文化を尊重することに重きを置いています。彼女たちは日本に来て悪い人たちに利用されたり、自国の文化を否定されたりする経験をしてきました。だから、自分に自信がないし、自己決定ができない。彼女たちに必要なのは、周りの人たちから自分の文化を尊重してもらい、一人の人間として認めてもらうことだと思います。

幸い、FAHこすもすには、外国にルーツを持つ人がいますし、お互いの文化を『すごいね』『いいね』と敬う空気があります。だからここに来て他の人たちとつながると、次第に自分のルーツや文化に誇りを持ち、日本で外国人として生きていくことに自信を抱けるようになる。それがうちに来るメリットだと思っています」

施設の中でくり広げられる多文化交流を示すのが、夕食の時間にくり広げられる光景だという。2023年の9月まで、FAHこすもすは今とは別の古い建物だった。家族ごとに暮らす個室の他に、広いホールがあり、そこに共有のキッチンが四つ、木造の大きなテーブルが2卓あった。

夕方になると、女性たちはそれぞれ食材や調味料を持って集まり、自分たちの国の料理を作った。フィリピン料理、タイ料理、ベトナム料理、中国料理……。子どもたちは食卓で遊んだり、本を読んだりしてお腹を鳴らしている。そして料理ができ上がると、みんなで食卓につくのだが、そこでは他の家族からスープをもらう、おかずを交換するといった和気藹々(あいあい)とした交流が見られた。

鳥海氏はつづける。

「食事には、人と人とをくっつける力があると思うんです。外国の人はおすそ分けの習慣があるので、『寒いからスープ飲んで』とか『たくさん作ったから食べて』といったことをしょっちゅうしています。また、日本の食事が好きな人もたくさんいて、日本人の入所者や職員に料理の方法を尋ねたり、新しい料理を作ってみたので味見してくれと言ってきたりします。もちろん、日本人の方が彼女たちにトムヤムクンなど外国料理の調理法を教わることもある。キッチンと食卓を共有することで、いろんな出会いがあり、自然とお互いの文化を尊重し合うようになるのです」

人は食事を介すことでお互いの垣根を越え、相手の文化を尊重できるようになる。FAHこすもすのホールでくり広げられる毎日の食事の光景は、日本でDV被害に遭った外国人女性たちがアイデンティティーを取り戻していくプロセスそのものなのだろう。彼女たちは、そこをスタートにして新しい人生を歩んでいくことになるのだ。

しかし、2023年10月、建物の老朽化に伴って施設が新築されることになり、FAHこすもすの“名物”だったホールがなくなった。国が定めた施設の基準に合わせて、各家族が暮らす個室にキッチンや食卓を設置しなければならなくなり、ホールが取り払われたのである。

鳥海氏たち職員にとって、これは苦渋の決断だった。それまでホールが果たしていた役割を考えれば、完全になくすわけにはいかない。新しい建物を設計する際に考えたのが、玄関からほど近い場所にホールに代わる共有スペースを設置することだった。ここは、入所者たちが自然に集まり、情報交換をしたり、軽く何かを食べたりすることのできる場所となっている。そこで家族同士の交流が生まれれば、今までのような温かな交わりが生まれるはずだ。

鳥海氏の言葉である。

「今年の10月に建物が新設された時、何年か前にうちに住んでいた外国人のお母さんたちが遊びに来てくれたんです。そしたら、この共有スペースを見て『あー、FAHこすもすらしい! この場所こそこすもすだよ!』と言ってくれてすごく嬉(うれ)しかったんです。そう見えているってことは、この空間を通してまたいろんな家族がかかわれていけるんだって。施設という場所だからこそ、こうしたところを大切にしたいと思っています」

新しいFAHこすもすの共有スペースでは、毎日たくさんの母子が集まり、楽しそうに交流している。

ホールはなくなったものの、毎日夕方になれば各家庭のキッチンからは相変わらず異国情緒あふれる料理の香りが漂ってくる。共有スペースで仲良くなった人たちが、そんな匂いを嗅いで「これってどう作るの?」と調理法を教え合ったり、「たくさん作って余ってるから食べてー」とおすそ分けしたりすることがあるという。

これからもFAHこすもすでは、様々な国の料理の匂い、味、言葉の温かさによって人と人とがつながっていくのだろう。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。

【あわせて読みたい――関連記事】
◇食から見た現代
◇現代を見つめて