利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(61) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

非核国家と世界平和の祈り

ところが、この危機に際して安倍晋三元首相は、アメリカとの核共有(ニュークリア・シェアリング)を議論すべきだと主張した。核戦争の危機が現実化した時に核武装への議論を主張することは、危機に便乗した荒唐無稽な問題発言である。日米関係の現実を考えると核共有は、日本独自の防衛力を高めず、紛争時に攻撃される危険性を高めるので、政策として非現実的だからである。むしろ正視すべきは、東日本大震災による原発事故にもかかわらず、原発再稼働が行われているという事態の深刻さだ。日本への武力攻撃が行われた時に、今のウクライナのように原発が狙われて事故が起これば、壊滅的被害が生じる。これは、脱原発派が指摘してきた論点だが、この危険が現実化し、日本周辺も含めて武力紛争が生じかねない事態になった以上、原発停止と脱原発を急がなければならない。

他方で、侵略を抑止するためには自衛力は必要であり、自衛隊を否定するような非武装中立主義は残念ながら今の世界では妥当ではないだろう。ウクライナの抵抗は、核戦争の危機を回避するために他の諸国が武力介入を自制している以上、当該国の自衛力が一定程度有用であることも示している。日本国憲法は、自衛隊を容認していると解釈できるが、軍隊や、まして核戦力を保持することは明確に禁止している。憲法第9条があり、防衛に専念して、過度に近隣諸国を刺激しない――この平和主義の原理は、文明間の衝突という危機において、改めてその意義が明確になったのである。

よって私たちがすべきことは、非核国家としてのアイデンティティーを再認識して、国是として非核三原則を再確認し、戦争が終わるように多くの人々が声を上げて祈ることである。西洋諸国に続いて、日本がロシアへの経済協力を中止し、日本企業も事業から撤退することは、侵攻国への打撃となり平和回復に寄与するから、人々がそう主張することが大事だ。ウクライナからの避難民も、友愛の精神によって可能な限り受け入れるべきである。

コロナ禍に対する鎮護国家の祈りとともに、戦争に対する世界平和の祈りが時局の要請となった。厳しい時代に入ったということを認識し、この時代を生き抜くべく個々人が最善を尽くし、日本が平和な新しい地球的文明への理念を示して働きかけるように求めることが、私たちの責務だろう。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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