共生へ――現代に伝える神道のこころ(8) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)

大戸神社(神奈川・川崎市)には砲弾を抱く一対の狛犬が置かれている。狛犬は古来、邪気を祓う神の使いで、神前を守護するものと考えられている

神前を守護するさまざまな「神使」 地域神社の由縁や人々の祈りが形に

地域神社の調査を行うと、個々の神社の境内にある建物や鳥居、灯籠、狛犬(こまいぬ)など工作物のわずかな差異に驚かされることがある。

数年前のことであるが、神奈川県川崎市内の神社を調査していると、日露戦争の後に氏子地域の住民から奉納された一対の狛犬が拝殿前に置かれており、その狛犬は徹甲弾の一種と思われる砲弾を抱いていた。むろん、狛犬と一体となった石製で本物の砲弾ではないが、精巧に作られており、本物の徹甲弾と見間違うかのごとくの見栄えである。小生は、各地の地域神社に狛犬がいろいろな姿で据えられているのは理解していたが、砲弾を抱く狛犬の姿にはさすがに驚かされた。

こうした砲弾を抱いた狛犬は当該の社(やしろ)だけではなく、神奈川県内では横浜市内などにも点在する。戦前には凱旋(がいせん)した陸海軍の兵士が種々の戦利品を神社に奉納することがあり、特に日露戦争以後は、各地の軍人会で戦捷(せんしょう)記念碑や忠魂碑などを建立する際に、陸軍省や海軍省から実際の砲弾を、信管を抜いた上で無償で譲渡され、神社に奉納したケースも見られた。2017年6月7日付「朝日新聞」朝刊(大分全県版)では、大分県内の13市町で神社を中心に砲弾のような金属品が次々に発見され、78個のうち16個に信管が残っていたことから、自衛隊に不発弾の処理回収を依頼したと報じられている。翌年6月の調査では、大分県内で合計310個の砲弾が見つかり、そのうち神社や寺院に118個が奉納されていたが、多くは旧日本軍の砲弾であった。大分県だけでなく、群馬や石川など各県でも同様に、社寺で砲弾の奉納品が発見され、ニュースとなっていたため、読者にはご存じの方も多いだろう。

大戸神社に建てられた「平和の礎」と刻まれた石碑。第二次世界大戦の戦没者慰霊と恒久平和の祈りが込められている

なお、古くは、神社に刀剣や甲冑(かっちゅう)などを奉納して戦勝や戦での平安無事を祈願し、戦勝の御礼を行う慣習が全国各地で見られたことから、近代に入って戦利品の砲弾が奉納品に加わったことは特別な事象ではなく、戦前期に全国各地で一般的に見られた事象であったと考えられている。それゆえ、本稿でこの狛犬の存在を紹介したのは、神社に奉納された砲弾の危険性の有無や、砲弾を抱く狛犬の奉納自体の是非を問うものではない。今回紹介した神社の境内には「平和の礎」と称する戦没者慰霊碑があり、当該の神社のみならず、全国各地の神社や寺院に先の大戦の慰霊碑や忠魂碑が数多く建立されている。むしろ平和を希求する観点からも、砲弾を抱く狛犬をなぜ神社に奉納しようとしたのか、あるいは戦利品をなぜ神社に奉納しようとしたのか、慰霊碑をなぜ社寺に建立するのかという、人々の素朴な心情や奉納、建立の経緯を地域社会との関係性のもとで客観的にうかがう試みは、軍事史の視点だけでなく、宗教史や社会史の視点からも読み解いてゆく必要があると考えているからである。

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