心の悠遠――現代社会と瞑想(5) 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)
相反する特質が実は表裏一体
一方、「竹に上下の節あり」といわれるように、竹には、はっきりとした区別や区分がある。このため、「松は常緑樹であること(不変)」と「竹の節は成長し続けること(変化)」に焦点を当て、これまで「松無古今色 竹有上下節」という対句は、「平等と差別」の特質を表現した禅語としてよく知られている。しかし、私はこれをさらに拡大解釈して、「静と動」「不変と変化」「静寂と喧噪(けんそう)」という、相反する概念を表した語として理解したい。
この相反する特質を同時に含んでいることに気づくことは、特筆すべきことである。松は、その色は今も昔も不変であるけれど、毎年葉は必ず変わる。竹は常に節があるけれど、同じ一本の竹であることに変わりはない。つまりこの句は、「平等と差別」「静と動」「不変と変化」「静寂と喧噪」といった相反する特質が、実は表裏一体であり、「同じコインの表と裏」のようなものであることを示している。
世界にはアメリカ人、ドイツ人、コロンビア人、中国人、日本人など多くの人種が共存しているけれど、皆、人間である。しかし、皆、同じ人間でありながら、イギリス人、ブラジル人、ロシア人、トルコ人、韓国人などさまざまな人種が存在しているのだ。同様に、皆、同じ人間であるけれども、世界にはたくさんの異なった宗教がある。たくさんの異なった信仰があるけれども、皆、人間なのである。
さらに、この対句は『法華経』の「諸法実相」の思想も教えている。全ての現象や存在(相=すがた)は、それがそのまま真理(諸法)を表している、ということである。山、川、森などの自然、また、花が咲き、鳥が鳴き、木が紅葉するという現象、建物、時計、車などの事物、これら全ての存在は、真理や真実が表示された相として現れているのである。私たちは通常、何かと区別や判別をして物事の価値を決めてしまいがちであるけれども、もし、ありのままに物事を見つめようとするならば、真理や真実は全てのものの中に存在していると気づくはずだ。
私はこの「諸法実相」の教えがそのまま、「日々是好日」という禅語の真意を教えていると信じて疑わない。この考え方が心を穏やかに、豊かにするものと信じている。
「今日はいい日だった」「嫌な日だった」と、私たちは日々を比べて区別しようとする。しかし、もし、ありのままに毎日を見つめるならば、その日一日が、そうあるべき日、つまり、良日となるのではないだろうか。「良い・好(よ)い日」とは「意味のある日」を意味すると考えれば、どの日も有意義な一日になるはずだ。どの日もその人にとって無駄な一日などない。明日まで待たなくてもよい。「良日」が来るまで待つ必要もない。今、即今、この場所、この日、この瞬間が大切なのだ。