心の悠遠――現代社会と瞑想(2) 写真・文 松原正樹(臨済宗妙心寺派佛母寺住職)

世界の平和と禅の役割

坐禅とは、一時的な積極的かつ意図的な「PAUSE(ポーズ)」(休止・立ち止まり)である。忙しい日々において、坐禅という「無駄」な空間をつくることにより、振り返り、再充電する時間が得られ、結果的には、私たちの内に秘める生命力や潜在的なエネルギーを活性化させることができるようになるのだ。

コンピューターがフリーズする、起動が遅くなるのは、多くのプログラムを同時に起動していたり、オーバーヒートを起こしていたりするからだ。スマートフォンでも同じである。実行中のアプリの数が多すぎると、パフォーマンスの低下に直接に影響する。車の冷却システムが正常に動作しなければ、車はオーバーヒートを起こす。私たち人間も、時にはリセットが必要なのだ。私たち人間はこれらの例外ではなく、むしろコンピューターや車と同じである。

私たちは時に振り返り、リセットし、再充電し、再起動する必要がある。その坐禅のテクニックを継続的に実践すれば、私たちの行動パターンおよび思考パターン、感情のコントロールに変化がもたらされ、より注意深く、より穏やかにつながりを大切にする気持ちが促進され、集中力も高められ、慈悲の心に基づいた思いやりのある存在になる道が開かれるのだ。

最終的に人間を救うのは、自己の覚醒というもの。つまり目覚めであると私は考える。ひらめき、「ハッ!」という驚き、スイッチが入った瞬間の目覚め、そのような覚醒する経験が、最終的に人間を救うのではないか。人間、私、あなたという「人」をとことん信じ合っていくことなのではないか。みんなが共通して持ち、人間を人間たらしめる仏性というもの、絶対的な尊厳と平等にある純粋な人間性というものが、必ず心の奥底にプログラムされていることを信じて疑わなくなれば、初めて信じ合うことができるのだと思う。

坐禅を通して、この仏性の考えを時代の要求に合わせてもっと積極的に、クリエーティブに発信し、行動を起こしていくことが、これからの新しい時代の禅の役割だ。ニューヨークでのテロ行為をはじめ、紛争や戦争、そして貧困、飢餓、環境、差別などのさまざまな問題を見据え、究極的に世界平和を考える時、禅的洞察と坐禅が貢献できると私は考えている。

プロフィル

まつばら・まさき 1973年、東京都生まれ。『般若心経入門』(祥伝社黄金文庫)の著者で名僧の松原泰道師を祖父に、松原哲明師を父に持つ。現在、米・コーネル大学東アジア研究所研究員、ブラウン大学瞑想学研究員を務める。千葉・富津市の臨済宗妙心寺派佛母寺住職。米国と日本を行き来しながら、国内外への仏教伝道活動を広く実施している。著書に『心配事がスッと消える禅の習慣』(アスコム)。

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