新・仏典物語――釈尊の弟子たち(3)
毒矢のたとえ
釈尊が舎衛城(しゃえじょう)のジェータ林の精舎(しょうじゃ)にいたときのことです。マールンクヤという哲学好きの若い僧侶が思いつめたような表情で、釈尊の元に訪ねてきました。
彼は、当時の思想家たちの間で、よく討論されていた問題について釈尊に問い掛けてきました。
「お釈迦さま、今日こそはぜひ私の疑問に、お答え頂きとうございます。“果たして、この世界は有限なのでしょうか、無限なのでしょうか? 霊魂と身体は一体であるのでしょうか、それとも別々なのでしょうか? 人間は死後も存在するのでしょうか、しないのでしょうか?” もし、また回答を拒まれるなら、私は世尊の元を去って俗世に戻ろうと思います」
釈尊はしばらく、この若い僧侶の目を見つめていましたが、やがてこのような話を始められました。
「マールンクヤよ、聞くがいい。ここに一人の人があった。その者が毒矢に射られたとしよう。周りにいた彼の友人はあわてて医者を呼ぶ。しかし、彼が“この矢を抜く前に、私にはどうしても知らなければならないことがある。この矢を放ったのは何者なのか? 私に刺さっている矢はどのような材質のものなのか? そして毒の種類は? その答えがわからないうちは、決して矢を抜いてはならない。治療することも許さない”と言って引き下がらないとしたら、彼はどうなるであろうか? マールンクヤよ」
「その男は、答えを知る間もなく死んでしまうでしょう」
「そのとおりだ。マールンクヤよ。そなたの質問もまさにそれと同じことである。そなたの質問に答えることが人生における苦の解決となりはしない。われわれはこの現在の生において、苦を見つめ、その原因を探り、苦を克服する道を歩まなければならないのである」
頭を深々と下げたマールンクヤは、釈尊の前から退くと、その後、一層の修行に励んだということです。
(『中阿含経』より)
※本シリーズでは、人名や地名は一般的に知られている表記を使用するため、パーリ語とサンスクリット語を併用しています
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