新・仏典物語――釈尊の弟子たち(30)

人の尊さ・自由 若き将軍

人混みの中で、釈尊は背中に熱いものを感じました。立ち止まり、振り返ると、男の視線にぶつかりました。男は会釈し、人をかき分けながら近づいてきました。

「一度、お目にかかりたいと思っておりました、お釈迦さま」。釈尊が答礼すると、男が名乗りました。「シーハと申します」。

彼の名を、釈尊は何度か耳にしていました。シーハはヴァイシャーリー軍を率いる指揮官の一人で、若いながらも老練な戦をする将軍として知られていました。兵を巧みに動かして敵を幻惑させ、撃滅する。ただし、ヴァイシャーリー軍が他国に侵攻することはなく、戦いは領土の防衛に限られていました。

それは、ヴァイシャーリーの指導者たちが、他国と武力衝突するよりも、交易を通して繁栄する道を模索していたからです。

「ヴァイシャーリーの町は、活気にあふれていますね、将軍。私は、この町が大好きなのですよ」

「それは、自由があるからでしょう。これほど栄えている都市は他にありません。ただし、そう遠くない将来、貪欲(どんよく)な国に併呑(へいどん)されてしまうと思います。それも、自由なるが故の脆(もろ)さです。その時、この町も民も死んでしまいます」。若き将軍の口調には、この町に対する愛情がにじみ出ていました。

「戦に勝つ条件は何でしょう」

「敵の動きを鋭敏に察知し、その意図を見抜くことです。そのためには、心をいつも澄んだ状態にしていなければなりません。心を曇らせるのは、自分の甘さや弱さです。判断を誤れば、いたずらに兵を苦しませることになります」

「心の悪魔と闘うことと、どこか似ていますね」

「そうですね、お釈迦さま。でも、心に棲(す)んでいる悪魔をたたきのめすのは容易ではありません。そう、私の師も言っております」

意表を突かれ、釈尊は将軍の顔を見つめました。その視線を受け、シーハが言葉を続けました。「マハーヴィーラ(ジャイナ教の教祖)ですよ。わが師の名は」。

将軍には驚かされることばかりでした。信仰の違いなど少しも気に掛けていないようでした。そんなことよりも、もっと大きなもの、人の幸福や自由に、この若き将軍の眼は向いているようでした。だから、釈尊にも気さくに声を掛けてきたのでしょう。

この都市に対するのと同様に、若い将軍に心が引かれるのを釈尊は感じました。爽やかな風が吹き抜けていきました。

(律蔵より)

※本シリーズでは、人名や地名は一般的に知られている表記を使用するため、パーリ語とサンスクリット語を併用しています

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