新・仏典物語――釈尊の弟子たち(31)

人の尊さ・贖罪 アングリマーラ

朝もやの中を、軍勢が駆け抜けていきました。騎馬と歩兵の部隊で、迅速に移動しながら散開し、瞬く間に森の中へ消えていきました。やがて、精舎(しょうじゃ)の包囲が完了した報告を王は受けました。「精舎から出ようとする者は、全て拘束せよ」。そう部下に命ずると、王は従者を連れ、精舎に向かいました。

精舎の一室で、王は釈尊と面会しました。

「凶悪な賊(ぞく)が一人、こちらに逃げ込んだという訴えがありまして、私の一存で精舎を包囲いたしました。ご安心ください、お釈迦さま。もはや賊は逃げることはできません」

王の話を聞きながら、釈尊はアーナンダ(阿難)に小声で何かを指示すると、改めて王と向き合いました。「その者なら、すでに捕らえてあります」。釈尊の言葉に王は、あっけに取られたようでした。

「何と仰せになられました、お釈迦さま」

「いや、正確に申しますと、私がその者をここに連れてきたのです。弟子になりたいと言うものですから」。

その時、アーナンダが一人の男を連れて部屋に入ってきました。王はその男を鋭く見据えました。

「王さま、この者を私に預けてはくださらぬか」。釈尊が言いました。

「それでは民が治まりませぬ」。男は、村々で人を殺害しては、逃亡を繰り返してきたのでした。

「遺族の怒りも分かります。この者の首をはねれば、気持ちも晴れるでしょう。しかし、この者は死罪に処せられるよりも、生きて罪を贖(あがな)わなければならない。そんな気がするのです」。釈尊は、王を見つめました。

「そこまでおっしゃるのならば、仰せの通りにいたしましょう。今、お釈迦さまの言われたことを国中に布告いたします。そうしなければ、暴徒が精舎に押し寄せることも考えられますので。それから、その者が民に危害を加えた場合は、即刻、引き渡して頂きます」。そう言うと、王は兵を従え、引き揚げていきました。

部屋には、釈尊と男が残りました。

「おまえは、今日から托鉢(たくはつ)に出なければならぬ。罵(ののし)られ、石を投げつけられ、棒で打ち据えられるかもしれぬ。それでも、耐えよ」。男は床に平伏し、肩を震わせていました。

「耐え抜くことで、生まれ変わることができるからだ。よいな、アングリマーラ」

部屋は静かでした。壁に掛けられた燈心の燃える音さえ聞こえてきそうでした。

(アングリマーラ経より)

※本シリーズでは、人名や地名は一般的に知られている表記を使用するため、パーリ語とサンスクリット語を併用しています