新・仏典物語――釈尊の弟子たち(26)

生と死とII 闇は人の心も閉ざす

闇がかすかに震えたようでした。人を呼び求める気配が、深い静寂を通し、肌に触れてきたのです。釈尊は立ち上がり、自坊を出ると足早に歩き出しました。

精舎を包む闇を抜け、一つの坊舎の前で立ち止まりました。うめき声がしたからです。戸を開け、足を踏み入れると、修行僧が苦痛に身をよじり額に汗をにじませていました。釈尊は片膝をつくと触診を始めました。憔悴(しょうすい)した僧の顔は髭(ひげ)で覆われ、沐浴(もくよく)していない身体は汚臭を放っていました。「そなたを看護している者はいないのか」。釈尊の問いに、修行僧は弱々しくうなずきました。

釈尊は二、三の僧を呼び出し、着替えの衣と湯と粥(かゆ)を持ってくるように指示しました。

汚れた坊内を掃除していると、僧たちが駆け戻ってきました。釈尊は湯を受け取り、僧の身体を拭き清め、汗でぬれた衣を替え、抱きかかえ粥を食べさせました。安心し身を横たえた僧の顔を釈尊は見つめました。「そなたは病に伏せった同僚を看護したことがあるか」。僧は顔を横に振りました。

釈尊は僧坊を出ると侍者のアーナンダ(阿難)に命じました。「全ての修行僧を講堂に集めよ。急げ」。

招集を告げる鐘が打ち鳴らされ、僧たちが講堂に駆け込んできました。集まった僧たちに釈尊は問い掛けました。

「そなたらは、なぜここに集い、生活を共にしているのか。同じ教えを学び、励まし合うためではないのか」

森閑とした講堂に、釈尊の声が響きました。「今、ここに、病に苦しむ者がいる。そなたたちと同じ目的を持ち修行している僧伽(そうぎゃ=サンガ)の一人である。起居を共にしている者を顧みようとせず、何が学道ぞ」

天井に反響した音声(おんじょう)は雷鳴のように頭上から落ちてきました。

「僧伽は、教えで結ばれた家族である。父母が子を慈しむように、兄弟がいたわり合うように、そして、如来を仰ぎ見るように、そなたたちは尊び合わなければならない」

最後に釈尊は、こう仰せになりました。

「病に苦しむ人を看(み)る者は、われを看護する者なり」

僧たちを見つめる釈尊の表情に一瞬、悲しげな翳(かげ)りがよぎりました。それを見て取った者はいませんでした。ただその翳りは燭光(しょっこう)がつくり出した、つかの間の陰影だったのかもしれません。

(増一阿含経より)

※本シリーズでは、人名や地名は一般的に知られている表記を使用するため、パーリ語とサンスクリット語を併用しています