新・仏典物語――釈尊の弟子たち(24)

最後の弟子

淡い月の光が、林を抜ける小道を照らしていました。月明かりに浮かぶ、その白い道を一人の老いた行者が歩んでいました。石につまずいてはよろめく身体を杖(つえ)で支えながら、スバッダはゆっくりと足を進めました。やがて、粗末な庵(いおり)が見えてきました。庵の傍らに立つ沙羅(しゃら)の樹の下に、釈尊が横臥(おうが)されていました。「お釈迦さまが今夜、入滅される」と伝え聞き、スバッダは釈尊のもとを訪れたのでした。

スバッダはアーナンダ(阿難)に釈尊への取り次ぎを頼みました。予期せぬ来訪者にアーナンダは戸惑いました。「世尊は病篤(あつ)く、休んでおられます。どうか、お引き取りください」。押し問答になりました。その時、釈尊の声が割って入りました。「アーナンダよ、その行者さんをお通ししなさい」。

釈尊は横になったままスバッダに教えを説かれました。上体を起こせないほど衰弱していたからです。スバッダは出家することを請い、許されました。スバッダを送り出し、釈尊に向けたアーナンダの眼は涙でぬれていました。「お釈迦さま、なぜそれほどまでに無理をなさるのですか? お身体も弱っておられるのに……」。

釈尊は譬(たと)え話をされました。それは、一頭の鹿の、雄々しくも悲しい物語でした。

昔、森に火災が発生し、火は瞬く間に燃え広がりました。獣たちは渓谷に逃げ込みましたが、火は三方から迫ってきます。目の前は深い谷になっており、対岸は跳び越えることができないほど離れていました。獣たちの中から一頭の鹿が進み出ました。大きな鹿でした。鹿は前足を伸ばし対岸にかけました。動物たちが自分の背中を通り、向こう岸に渡れるようにしたのです。獣たちが渡り始めました。重量のある動物が渡るたびに、鹿の四肢は震え、背中の皮膚は破れました。最後のウサギが渡り終えた、その時、鹿の背骨は折れ、谷底に堕(お)ちていきました。

「その時の鹿は私で、最後に私の背中を渡ったウサギがスバッダである」。そう話し終わると釈尊は静かに目を閉じました。

時節でもないのに沙羅の樹が一斉に花をつけ始めました。淡黄色の花びらが散り、釈尊の上に舞い落ちました。花びらは月光を浴び黄金色に輝いていました。やがて、釈尊の身体は花びらで覆われました。釈尊が今、般涅槃(はつねはん)されたのでした。

(大智度論より)

※本シリーズでは、人名や地名は一般的に知られている表記を使用するため、パーリ語とサンスクリット語を併用しています

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