新・仏典物語――釈尊の弟子たち(23)

ブッダの衣鉢を嗣ぎし者

眼下に樹海が広がっていました。その遥(はる)か遠くに城の尖塔(せんとう)がかすかに見えました。山の中腹に切り開かれた岩場に立ち、老いた修行僧はその風景を眺めました。身にまとった衣は破れ、身の丈を超える長い棒を杖(つえ)代わりにしていました。

風が樹海から象や鳥の声を運んできました。清水が流れる岩場には多くの猿や鹿が集まっていましたが、老僧を警戒する様子はありませんでした。瞑想(めいそう)するため、この岩場をたびたび訪れる老僧を山の住人だと認めているようでした。ただ、必要以上に近づくことはありませんでした。老僧の身のこなしに研ぎ澄まされた刃(やいば)のような鋭さがあったからです。

老僧は杖に身をもたれさせ、静かに目を閉じました。風がやみ、山のざわめきが遠のいていくのを老僧は感じました。釈尊との思い出がまぶたに浮かんできました。

釈尊と出会って間もない頃、一緒に托鉢(たくはつ)に出た時に休憩した樹の下で衣を交換したこと。その衣を身にまとい村々を遍歴したこと。それから、僧の集まりで説法していた釈尊が話を中断され座を空け、隣に座るように勧めてくださったこと。長い遊行から精舎に戻ってきたばかりで、髪も髭(ひげ)も伸び、その姿はみすぼらしく、それを見とがめる僧たちの顔に苦笑が浮かび、やがて嘲(あざけ)りの言葉がささやかれ始めたその時に、釈尊が声を掛けてくださったのでした。その釈尊も入滅され、その後に生じた教法の乱れを正すため、高弟たちを集め釈尊の教えをまとめ終えたこと。

そして今、この老僧は釈尊の侍者だったアーナンダ(阿難)に釈尊から下賜された衣を手渡し、別れを告げ、この岩山にただ一人登ってきたのでした。

老僧は目を開け、杖をつきながら歩き出しました。岩場を過ぎると木々が鬱蒼(うっそう)と繁(しげ)る林があり、それは山の奥へと続いていました。その木立の中に、老僧は足を踏み入れました。やがて、老僧の姿は深い森に吸い込まれるように消えていきました。

釈尊が入滅してから二十年、釈尊の偉大な弟子であり、師から衣鉢(えはつ)を託されたマハーカッサパ(摩訶迦葉=まかかしょう)の、これが最後の姿でした。

岩山では何事もなかったかのように、鳥はさえずり、猿が戯れ、鹿がのんびりと草を食(は)んでいました。

(仏本行集経より)

※本シリーズでは、人名や地名は一般的に知られている表記を使用するため、パーリ語とサンスクリット語を併用しています