法華経のこころ(15)
人間の生き方の究極の境地が示された法華三部経――。経典に記された一節を挙げ、記者の心に思い浮かんだ自らの体験、気づき、また社会事象などを紹介する。今回は、「提婆達多品」と「薬草諭品」から。
衆生を慈念すること猶(なお)お赤子(しゃくし)の如し(提婆達多品)
ある動物園の園長さんが書いた本の中に、こんなくだりがある。『赤ちゃんや動物を育てる時の心の持ち方、それが本当の愛情ではないか』。
つまり、相手は言葉を話さない。おなかがすいても「ごはんをくれ」とは言わない。熱を出しても「薬を飲ませてくれ」とは言わない。だからこそ、相手にきめ細かな注意を払う。いつも相手の立場でものを考え、自分に何ができるかを探し続ける。それこそ純粋な愛情だ、と。
そして、こうつけ加えている。『キリンは、立ったままで出産するから、赤ちゃんは二メートルもの高さからドスンと落ちる。それを、かわいそうに思って、下にふわふわのマットを敷いたらどうだろう。その赤ちゃんは不思議なことに、立てなくなってしまう。落ちた時のショックがキリンの成長には、不可欠なのだ』。同様なことは人間にも言えるだろう。
やみくもに、ただ相手の要求に応え、苦しみを与えないよう保護することが愛情ではない。将来を考え、知恵をもって対処することも必要となる。こうした愛情を、たった八歳の竜女は、すべての人に注いだという。ツメのアカでも煎じて飲ませて頂きたい。
(S)