法華経のこころ(16)

人間の生き方の究極の境地が示された法華三部経――。経典に記された一節を挙げ、記者の心に思い浮かんだ自らの体験、気づき、また社会事象などを紹介する。今回は、「法師品」と「観普賢菩薩行法経」から。

「如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是(こ)れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり」(法師品)

「仏さまのお部屋(慈悲心)は、広大無辺であります。いたずらにひとを批判するようなトゲトゲしい心でなく、ひとを大きくつつみ、ひとと大きく調和する精神です」

この一節に触れると、かつて取材先で知り合ったEさんを思い出す。長く学校に勤めるEさんはその前年に、一人の不登校の生徒と出会った。その生徒は、いわゆる「落ちこぼれ」で、部屋に閉じこもったままふさぎ込む毎日を過ごしていた。

彼と初めて面と向かった時、その鋭い視線が、Eさんに返ってきた。だが、Eさんには、何かに飢えた、さみしそうな目に見えたという。Eさんは、毎日のように彼の部屋に足を運んでは、その不満や愚痴に耳を傾けた。

やがて、Eさんが「私の家で勉強してみるか」と彼に言うと、素直な返事があった。その晩から二人で勉強が始まる。Eさんは、ただ教えるのではなく、共に学ぶ姿勢を心がけた。彼の長所を見つけては賛嘆するようにもしていった。

「子供は、真理追求(勉強が分かりたい)という願い、主体性・創造の願いといったことが嫌いではないんです。それらを望んでいることを、われわれ大人が信じていかなければならないと思います」とEさんは振り返った。

1週間、2週間と経つにつれ、彼は進んで勉強し、よく笑うようにもなっていった。数カ月後、彼の元気に登校する姿があった。
(T)

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