法華経のこころ(19)

人間の生き方の究極の境地が示された法華三部経――。経典に記された一節を挙げ、記者の心に思い浮かんだ自らの体験、気づき、また社会事象などを紹介する。今回は、「法師品」と「如来寿量品」。

願って此(こ)の間に生(うま)れ(法師品第十)

法華経を受持しようとする人は、衆生をあわれむ心をもって、「自らすすんで人びとの間に生まれ」、広く法華経の教えを説き、さまざまに説き分けるのです。

お経の中には、ややこしくて、訳のわからない言葉があって、まだぼくには難しくてわからない。だけど、ある時、お父さんがこう言いました。「人にはみんな自分を生かした役があるということが、お経文に書いてあるんだよ」。

“役”って、いったい何なのかな? ぼくは、お母さんに聞いてみました。すると、「学校で勉強をしたり、お父さんとお母さんの子として、いろんなことを教えてくれるのが、今のお役かもしれないわよ」。

よくわからないけど、何となく、ぼくにも“役”があるのかな、と思った。お父さんは、「その役目を果たす人間に生まれるために、自分から仏さまに誓ってきたんだ」とも言いました。じゃ、ぼくは仏さまと何を約束してきたのかな?――

ある日、夜のご供養を終えたあと、小学五年生の長男はいつになく真剣だった。私と妻との会話の中で、彼は彼なりに小さな、そして純粋な疑問を自分自身に問いかけていたのだ。長男のそうした姿に接して私は、「願って生まれ」てきた人間としての役割を、生活の中で息子と共に改めて考え、実感してみようと思った。
(H)

【次ページ:質直(しちじき)にして(如来寿量品)】