法華経のこころ(14)

内衣の裏に無価の宝珠(ほうじゅ)あることを覚らず(五百弟子受記品)

放浪生活しているその人は、親友が着物の裏に縫いつけてくれた、計り知れぬ価値のある宝玉(仏性)に全く気がつかなかった。無価の宝珠はすべての人が等しく持っている。

ある講演会で講師が言った。

「仏性は誰にでもある。電車に老人が乗ってくるとタヌキ寝入りをする人がいる。それだって仏性がある証拠だ」

取材していて、思わずメモをとる手が止まった。もちろん、席を譲らないことが仏性だと言うのではない。席を譲りたいという心がある。しかし、恥ずかしい、しんどいという気持ちと闘うから寝たふりをしてごまかすのである。つまり、タヌキ寝入りは、仏性とそれを拒む心の葛藤であるのだ。

「今の若者は年寄りに席を譲らない」と言われ、怒る人もいる。譲らないよりは譲る方が良いに決まっているが、譲らないからといって人を裁いていいのだろうか。彼は内衣の裏の宝珠を生かすかどうか、自分自身と闘っているのだ。「宝珠あることを覚(さと)っていない」のは、人を裁いている方であるかもしれない。仏性を引き出す触れ合い方を考えさせられた。
(K)

※内衣(ないえ)の裏に無価(むげ)の宝珠(ほうじゅ)あることを覚(さと)らず