食から見た現代(29) 地域食堂ⅰnウォーターフロント 文・石井光太

東京都の中でも中央区は、「都心3区(港区、千代田区)」の一つとされ、近未来的な華やかさと伝統を兼ね備えた地域だ。
ウォーターフロントと呼ばれる晴海ふ頭公園などがある臨海部にはきらびやかなタワーマンション群がそびえ立ち、内陸側には銀座や日本橋といった由緒ある繁華街が広がっている。近年は海外資本の流入もあって不動産価格の高騰が著しく、一般的な会社員には手の届かない場所となりつつある。
2017年4月、中央区で初めて誕生した子ども食堂が「にこにこ食堂」だ。女性5人と男性1人が有志で集まり、小学生を中心とする子どもとその保護者に夕食を提供したのである。これが先駆けとなり、今では中央区には10を超える子ども食堂が運営されている。
日本では、子ども食堂は「貧困支援」の一環として行われることが一般的だ。それは中央区の裕福なイメージと必ずしも合致しないが、どうしてこの地に食堂が誕生したのだろうか。そしてその課題とは何なのか。
代表・小松和也氏(59歳)に話を聞いた。
小松氏らは、原則的に毎月2回、中央区の2カ所で食堂を開催している。
一つは子どもを主な対象とした子ども食堂で月島駅近くのシニアセンターで開かれ、もう一つは幅広い年齢層を受け入れている食堂で勝どき駅近くの勝どきデイルームで開かれている。どちらも景観の良いウォーターフロントに位置している。
会場では小松氏らメンバーに加えて複数のボランティアが食材集めから調理までを行い、子どもや親を迎え入れている。料金は12歳以下は無料、大人は300円だ。
取材(2026年6月)の直近のメニューは、エビ春巻き、フライドポテト、アメリケーヌパスタ、中華スープ、フルーツどら焼きだ。料金と比べれば、その安さがわかるだろう。
小松氏は話す。
「僕らの食堂へ食事をしに来る親子は、一目見て生活に困窮しているとわかるような人はほとんどいません。むしろ、ブランドものの高価な洋服やアクセサリーを身につけていらっしゃる方も一部います。
かといって、彼らが食事に困っていないわけではないんです。たとえお金に困っていなくても、様々な事情からきちんとした食事をとることができない人がいる。そういう意味では、うちの食堂では“貧しさ”の意味合いが違ってくるといえるかもしれません。僕自身、それに気づいたのはこの取り組みをはじめてしばらくしてからでした」
小松氏の肩書は会社経営者だ。37歳の時に脱サラし、創業者から引き継ぐ形で、コミュニティFMラジオ局「中央エフエム」(中央区京橋)の社長に就任したのだ。
中央エフエムは地元中央区に根差したメディアであることから、小松氏は地域貢献に対する意識があり、障害者関係の番組を作るなどしていた。その関係で知人から紹介されたのが、男女共同参画講座を卒業した女性たちだった。彼女らは、中央区で最初の子ども食堂の立ち上げを模索していた。
小松氏はプロジェクトの内容を聞くと、かかわらせてほしいと頼んだ。そこには彼なりの背景があった。父子家庭の中で孤軍奮闘しながら長男を育てた苦しい経験があったのである。
彼の妻が乳がんを患ったのは、長男が5歳の時だった。2年の闘病生活の後、彼女は帰らぬ人となった。そのため、小松氏は長男が保育園に在園している時から、闘病の支援から家事の一切までを担わなければならなくなった。
それまで家事をろくにした経験のなかった彼にとって、それは想像を絶するほどの困難さだった。まだ夜が明けないうちに起きて子どもの朝食を用意して送り出し、そのまま仕事に行く。当時の自宅から勤務先まで2時間弱かかったため、昼食をとる時間すら惜しんで働いて、午後3時頃には退社する。そこから保育園や学童に子どもを迎えに行き、買い物、支払い、夕飯の用意、家の掃除、洗濯などをこなし、毎晩気を失うように眠った。
彼はふり返る。
「結婚してから家事の類いはすべて妻に任せて仕事一筋の生活をしてきました。でも妻が病気になった途端、すべてを自分でやらなければならなくなった。
何もわからないゼロからのスタートだったので、あの頃は毎日がただただつらいという思いでした。目の前にやらなければならないことが次々とつみ上がっていき、それをひたすらこなしていくのですが、自分一人ではどうにもならないこともたくさんある。
だから、やっているうちに頭がいっぱいになっていき、ストレスがまるで巨大な風船のように膨らんでいく。どこかでそれが破裂する、つまり自分のメンタルが壊れるのではないかと思っていても、一休みすることすらできないのです」
そんな精神状態の中、積もり積もったストレスが幼い息子に向かうこともあった。息子がコップの水をこぼすなど、誰もがするような失敗をしただけで、気持ちが抑えられなくなり大声を上げるなどしてしまったのだ。そうしたことが何度もくり返されるうちに、父と子の関係にすら亀裂が入ってくる。
このような状況が少しずつ落ち着いてきたのは、息子が小学校の高学年になってからだった。思春期になって分別がついたり、一人でできることが増えたりしたことから、父親の心労を理解して行動するようになったのだ。
小松氏が子ども食堂のプロジェクトにかかわるのを決めたのは、そんな最中の息子が14歳、中学2年の時だった。家事や仕事に多少余裕が出てきたことで、外に目を向けられるようになったのが大きかった。
彼は言う。
「子ども食堂に関心を持った背景には、僕自身が妻を失ったことで大変な思いをしてきたことがありました。あの頃は記憶が飛ぶくらい多くのことに追われていて、『1日でも食事を作らずに済む日があればいいのに』『1日でも家から離れてたわいもない話ができる時間があればどんなに楽か』とずっと思っていました。たった一食作らずに済めば、どれだけ楽だろうって。
ただ、現在進行形で当時の僕のような経験をしている人って、決して少なくないはずなんです。配偶者との死別でなくても、離婚をしたシングルマザーや、厳しい環境の共働き世帯なども、同じように自分の時間を持つことも叶(かな)わず、日々をもがくように過ごしている。だから、僕が行動することでそういう家庭を少しでも楽にできればという思いで、子ども食堂にかかわろうとしたのです」

中央区初の子ども食堂「にこにこ食堂」は、月島のシニアセンターの一室でスタートした。初回に用意したのは15~20食分だった。
当初は同じ建物内に学童があったことから、参加者のほとんどが学童に通う子どもとその親だった。親が子どもを迎えに来たついでに、夕食を作る手間を省くために訪れるのだ。
月に一度のペースで開催した子ども食堂だったが、小松氏ら創設メンバーが当初思い描いていたビジョンと、現実は必ずしも一致しなかった。彼らが目指していたのは、生活困窮家庭への支援だった。生活に困っていて、三食をまともにとれないような家庭へ、温かい食事を提供するといったことだ。
だが、にこにこ食堂にやってくるのは、ドラマで見るようないかにも生活に困っているといった親子ではなかった。全員が全員そうだというわけではないが、土日は高い月謝を払って習い事をしている子や、大手企業に勤めているキャリア女性も少なくなかった。
彼らはただ自分が料理を作るのが面倒だからここに来ているのではないか。
やはりこの地域で貧困支援の活動をするのは無理があったのではないか。
メンバーの間にそんな空気が漂いだしたが、しばらく活動をつづけているうちに別の目線を持つようになった。たくさんの人たちと接しているうちに、それまでは見えなかった家族の異変に気がつくようになったのである。
たとえば、毎回、学童に通う小学生の息子を連れてくる母親がいた。二人は並んで食事をするのだが、まったくといっていいほど会話がなかった。お互いに目を合わせることすらなく、黙々と食べ終えて帰って行くのだ。
小松氏は解せないものを感じながら二人を迎えていた。そんなある日、食事中に小学生の息子が皿をひっくり返したことがあった。母親はそれを見ると、無言で手を挙げた。小松氏が歩み寄り「どうしましたか」と尋ねると、彼女は言った。
「これ、うちの子がこぼしました」
気がついたら、自分で片付けるのが常識だろう。それなのに、他人事のように受け取り、スタッフにやらせようとしたのだ。
小松氏は一瞬カッと頭に血が上ったが、ここで注意すれば食堂全体の空気が悪くなると思い直した。そして不満を飲み込み、床にこぼれた食事を拭いた。
食堂を終えた後、小松氏は学童の職員にこの不満をこぼした。職員は言った。
「あの家庭は複雑なんです。お母さんは夫からDVを受けていたそうです。それもあって息子を産んでから、心の病気になって5年くらい病院で治療を受けていた。その間は、夫の親が、幼い息子を育てていたみたいです。
少し前に、ようやくお母さんが退院して家にもどってきました。でも、これまでほとんど子育てをしてこなかったため、実の息子なのにどう接していいのかわからないのです。おそらくお母さんが息子と会話をしないのは、何を話していいのか、何をしていいのかわからないんじゃないでしょうか」
この話を聞いて、小松氏は他人の家庭には自分の想像が及ばないような困難があることを知った。
たしかに中央区のウォーターフロントには、テレビや映画で描かれるような生活困窮家庭の母子は少ないかもしれない。しかしだからといって、すべての家族が順風満帆な日々を過ごしているわけではないのだ。
にこにこ食堂の運営をつづけるうちに、小松氏はこのことを否応なしに目の当たりにすることになった。たとえば、親が仕事に忙殺されていて子どもは毎日菓子パンだけを食べて過ごしているとか、片方の親が外国人で日本語が不得意で家庭内でコミュニケーション不全に陥っているとか、親が料理を作る習慣がないので子どもは毎日ふりかけをかけた白米だけを食べているといった家庭があったのだ。
他にも、傍(はた)から見れば恵まれた完璧に見えるような家庭に歪(ゆが)みを見つけることもあった。





