気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(29) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
「もし今日僕が死ぬとしたら幸せだ! と思いながら、抱っこしていたんだよ」
私は今、「気づきの瞑想(めいそう)を学ぶオンライン勉強会」を主宰している。ネット上で参加者が研さんし合える場である。気づきを高める瞑想、それは孤独な内面の作業だ。だからこそ善き仲間が重要。タイで暮らしているから、この国で仲間を探すのはそれほど難しいことではないが、離れた日本で身近な仲間を見つけるのは難しい。しかし今は、幸いなことにインターネットを通して学び合うことができる。
ある日、勉強会メンバーの一人、Yさんから、こんな投稿があった。彼は瞑想を子育てに生かしたい、という願いを持つ2児のお父さんだ。
「息子ちゃん13キロは抱っこ魔で、自分で歩けるのに、すぐに抱っこをせがみます。長時間の抱っこは大変疲れるし、そもそも歩ける能力はあるので、『歩いてー』と促すものの、駄々をこねる。この時私の心は、イラッとするわけです。しかし、はたと思ったのは、『疲れる』ってなんだ? ということです。
過去の記憶から、未来を推測して『疲れる』と言っていて、肝心の『今』が登場していない。
疲れるという推測をもとにして、心が穏やかじゃない状態になっている。だったら、今に焦点を当ててみたらどうだろう。『疲れる』といっても、さまざまで、腕の筋肉が疲労する、腰の筋に負担がかかる。足の加重が増加して、ジンジンしている……ということを総体的に『疲れる』と呼んでいたんだなーと。であれば、今に気づきをもってきて、対処してみる。疲れる前に持ち替える、脇を締めて、腰の負荷を軽減する、休み休み歩く……など、都度対応することもできる。肉体は使えば、疲労はたまるので、気づいて、対処したからといって、全く疲れなくなるわけではないが、心がだいたい穏やかなままだったことに気がつきました」
抱っこをせがむ子供さんへの対応。ご自身が「疲れる」ことに意識を向けて、体の疲れはあっても心まで疲れないヒントを得られたすてきな気づきをシェアできた。私はその時、現在5歳の息子も、かつて同じ状態だったことを思い出した。そして夫に「あの時、どんな気持ちで疲れを乗り越えていたの?」と聞いてみた。すると彼の口から出てきたのがタイトルにある言葉だった。まさか死という言葉が出てくるとは思わなかったので、驚いた。そして、夫はこうも言った。
「子供と一緒にいられる時間って、本当に少ないと思うよ。だって、どちらかがいつ死ぬかも分からないし、生きていても別々に暮らさなければならないことだってある。大きくなったら家を出て暮らすだろうしね。だから今こうして子供を抱っこできること、それはどんなに幸せなことかと思いながら、抱っこしていたんだ」
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