気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(29) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

テーラワーダ仏教(上座部仏教)では、死を思う「モラナサティ」という瞑想修行がある。死という真実を受けとめ、今ここを確かに生きるための瞑想だ。夫は長いこと僧侶として修行していたのだが、還俗(げんぞく)した後も仏教の教えを基本に生きている。子育てという、最も死とは遠そうな場面においてもモラナサティを活用しているとは、彼らしいなと感じた。

夫の体験を再びオンライン勉強会でシェアした。すると数日後、前述のYさんからまた書き込みがあった。

「本日、娘0歳が、妻が持て余すほどのギャン泣き。オムツも換えておっぱいも十分、熱があるわけでもなく、ただ、ただ泣く泣く。その時、先日のお話を思い出して、『これも無常無常、こうやって抱っこできる期間も短いもの。抱っこできてありがたや、泣くだけ泣いていいんだよ』と、大らかに構えたら、イライラも湧いてこないし、すぐに泣きやむし。大きな泣き声がストレスになっていたかと思っていましたが、泣きやんでほしいという期待が叶(かな)わないことにイライラしていたということに、気づきました。期待を手放す。結果的に、すぐ泣きやんだけど、別に泣きやまなくても大丈夫。そんな心持ちでいられるのは、快いな、と思いました」

思い通りにならない子供はまさしく、ブッダが悟られた真理である「三相」(無常・苦・無我)の体現者。最強の瞑想トレーナーだ。生身の仏教に触れざるを得ない貴重な機会。国を超え、頼もしい“イクメン”パパたちと共に、私自身も今ここでの子育てを大切にしていこうと思う。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後、タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県にある瞑想修行場「ウィリヤダンマ・アシュラム」(旧ライトハウス)でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。