利害を超えて現代と向き合う
利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(80) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
政治哲学から見る旧統一教会への解散命令請求
文部科学省は、民法上の不法行為を根拠に、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への解散命令を東京地裁に請求した(10月13日)。宗教法人法における「報告徴収・質問権」を7回にわたって行使し、教団からの資料収集や元信者への聞き取りを行い、この決定に至ったのである。
利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(79) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
イスラエル・ガザ「戦争」
ウクライナとロシアの戦争が続く中、もう一つの戦争が始まってしまった。パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラーム武装組織ハマスが、イスラエルに約2500発のロケット弾を発射し、100人が死亡し、800人以上が負傷した(10月7日)。イスラエル政府は「戦争状態」という声明を出して、ガザ地区に報復の空爆を開始し、ガザ地区の住民110万人に退避要求を出して地上侵攻の準備を整えた(16日)。アメリカは人道危機への対処には傾注しているが、地上侵攻は黙認している。アメリカやヨーロッパの多くの国々がイスラエル寄りであることは否みようがない。安保理決議にも採択の見通しはない。
利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(78) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
自業自得の「第9波」
新型コロナウイルス感染症の流行が続いている。第9波が長引いて影響が深刻化し、各地の学校で学級閉鎖や行事の中止、公共交通機関の運休、医療崩壊、救急車の出動が逼迫(ひっぱく)するといった状況がようやく報道され始めた。第8波に近づいていると言われ始めたが、実際のレベルは誰にも正確には分からない。
利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(77) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
家と国家というコミュニティーにおける生死の歴史
8月には、暑さの中で、お盆があり、「原爆の日」や終戦記念日があり、毎年式典がある。各家庭でも、そして日本中でも犠牲者を悼(いた)み追想し、戦争と平和を思う月だ。個人とともに、家族や国民というコミュニティーを重視する「徳義共生主義(コミュニタリアニズム)」の観点から見ても、そこで共に生きる人々の生死を改めて考えるべき時だと言える。
利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(76) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
これからの「道徳」の話をしよう
先月(6月18日)に駐日ジョージア大使(ティムラズ・レジャバ氏)が、自分が足を組んで電車の優先席に座っている様子をツイッターに投稿したところ、大きな反響があり、その是非についての議論が盛り上がった。日刊紙でも大使にインタビューがなされて、私がコメントを求められた(朝日新聞7月14日付夕刊)。
利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(74) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
感染放任主義と自ら律して身を守る必要性
暖かい季節になってきた。ゴールデンウイークの歓楽気分を経て、「コロナは終わった」というように、あたかも問題が収束したような風潮が漂っている。感染症などの専門家たちが警告しているように、政治的思惑で5類になったからといって、コロナ感染そのものがなくなったわけではなく、浮かれるのは禁物だ。検査や治療も自費で賄う必要性が増大し、感染者や濃厚接触者の外出禁止も大幅に緩和されたから、コロナ感染者がいわば野放しになったようなものだ。このため感染リスクは増大し、日々の感染状況の公表もなくなってしまったのだから、人々が気づかないうちに蔓延(まんえん)してしまう危険がある。事実上は、統計隠蔽(いんぺい)と同じような効果があるわけだ。
利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(73) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
メディアの生み出す「世論」(公共的意見)の危険性
今はコロナ禍に加えて、ロシアのウクライナ侵攻による戦争が続いており、日本でも軍拡や北朝鮮のミサイルへの警報問題が起きている。世界的な戦争へと戦火が拡大していく危険性も決して軽視することはできない。このような文明的な危機の重畳(ちょうじょう)において、第二次世界大戦からの洞察を振り返ってほしい――そのような願いをもって、私はウォルター・リップマンの『公共哲学』(1955年)という古典を再訳して、刊行した(『リップマン 公共哲学』2023年、勁草書房)。
利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(72) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
「ポジティブ」な感情と政治
コロナを感染法上の5類にすると政権が決め、第8波が収まったので、あたかも感染症問題は収束したように社会は動き始めている。この大きな狙いは、4月の統一地方選挙を前にして、感染症問題を乗り越えたという明るい雰囲気をつくり、支持率が低迷した政権を浮揚させようということかもしれない。