清水寺に伝わる「おもてなし」の心(2) 写真・文 大西英玄(北法相宗音羽山清水寺執事補)
「見える」「見えない」を超越して
過日、白鳥健二さんという方の話を教えて頂いた。彼は全盲である。その趣味は美術館巡りだそうだ。きっかけは学生時代に付き合っていた彼女の誘いだったが、その後も自身の趣味として継続され、現在では年間数十回と美術館に通う。
ではいったいどのように鑑賞するのか。事前に行きたい美術館に電話し、自身が全盲であること、作品の様子などを口頭で説明してくれるアテンド(案内)をお願いしたいことを伝える。そして、その方との対話を通して美術鑑賞を楽しむのだ。「想像すること」と「俯瞰(ふかん)すること」は人間の大きな長所であると力説していた方がいたが、なるほど、と思い知らされた。
白鳥さんが初めて一人で行ったのは名古屋市美術館であった。同館スタッフのアテンドにて、「ゴッホ展」を3時間かけて巡ったそうだ。ようやく鑑賞が終わった時、彼は驚くべきことに直面した。なんとアテンドした人が「本当にありがとうございました」と心から丁寧に御礼を言い始めたのだった。白鳥さんは当然、〈むしろ御礼を言うのは私なのに〉と思った。しかし、アテンドした方は矢継ぎ早にこう続けた。「今まで自分はこの展覧会についてよく理解し、全ての作品についても十分見てきたつもりでした。でも、あなたとの対話を通して、今まで見ていたつもりが、実は見えていなかったこと、知っていたつもりになっていて、気づいていなかったことがたくさんあることを思い知らされました。このような機会を与えて頂き、感謝します」と。ほんの瞬間かもしれないが、ゴッホという本物の作品を通して、「見える」と「見えない」の垣根を越え、互いの心が一体となったのではなかろうか。見えているものが全てではない。こんなにも大切なことを、この話より改めて教わった気がした。
こうした意識を心理学では「カラーバス効果」と表現するそうで、我々は総じて自分が見たいものに意識が向くということだ。例えば、子宝に恵まれると、それまでと生活環境は同じであっても、出産や育児、教育などに関する雑誌や書籍、広告、宣伝に、こんなにも囲まれていることに初めて気づく。「今日のラッキーカラーは赤です」なんて強く言われたら、いつもより赤いものが目に付いたりする。目に映っているのではなく、見ているものを選んでいるそうだ。