弱小チームから常勝軍団へ~佼成学園高校アメリカンフットボール部「ロータス」クリスマスボウル3連覇の軌跡~(2) 文・相沢光一(スポーツライター)

2018年の「クリスマスボウル」を制し、3年連続で高校アメリカンフットボールの日本一となった佼成学園「ロータス」。大学の付属校が王座を占めてきた大会の歴史に終止符を打った「ロータス」だったが、創部当初から長く深刻な人材不足に悩んでいた……。

「都大会に出場しても大差負けが当たり前」

佼成学園「ロータス」は1975年に同好会としてスタートし、翌1976年に部に昇格した。

創設者は当時、体育科の教諭だった天野博氏。名門・日本大学アメリカンフットボール部OBで、社会人クラブチームの雄・シルバースターでもプレーした経歴をもつ。

そんな有力者が部を創設したにもかかわらず、思うように部員は集まらなかった。天野氏が授業の時などに熱心に部員を勧誘したが、入部する生徒は少なく、3学年合わせても20人に満たない状態が続いたという。

それも仕方がない。今でこそ大学や社会人のリーグ戦には多くの観客が集まり、テレビでもNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の頂上決戦・スーパーボウルが中継されて注目を集めるようになったが、部が生まれた40年以上前の日本は、アメリカンフットボールがどんなスポーツかさえ、ほとんどの人が知らない時代だった。

一番人気のスポーツは野球であり、少年たちの多くが野球選手を目指したし、野球以外を選ぶ場合は中学の部活で始めたスポーツを高校でも続ける傾向が強かった。そんな生徒たちをアメリカンフットボールに誘ったところで、良い返事が返ってくることは少なかったはずだ。

ロータスの強化にコーチとして携わり、現在は佼成学園中学アメリカンフットボール部で監督を務める東松宏昌氏が、当時の高校アメリカンフットボールの状況を語る。

「私は家が立川の米軍基地の近くにあったもので子どもの頃からアメリカンフットボールが身近にあり、プレーしたくて部がある高校(駒場学園)を選びましたが、そんな生徒はごくわずか。すでに強化に力を入れていた大学の付属校以外は、どの高校も部員集めには苦労したはずです。コーチとして来たロータスがそうでした。やはり部員数が少ないのは致命的でしてね。都大会に出場しても大差負けが当たり前でした」

アメリカンフットボールはチームに数多くの選手がいなければ、対戦相手と対等に戦えないスポーツなのだ。その特性を知っていただくために、ここで簡単にゲームの進み方とルールを述べておこう。

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