「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(20) 番外編4 文・黒古一夫(文芸評論家)
日本改造政策を風刺する痛快な創作
東北地方(山形県)の決して豊かでない家庭に育った井上ひさしが、そんな「日本列島改造論」や「減反政策」があぶり出した日本の「農業」や「地方」に対する政策に対して、「疑念」や「異論」を抱くようになったのは、必然であった。それは、日本の政治状況に対する「違和感」とも言えるものだったに違いない。
田中角栄首相が「日本列島改造論」を引っ提げて、ブルドーザーで整地するかのように日本の産業構造を大転換させつつあった1973年6月、筑摩書房から隔月刊の雑誌「終末から」が創刊される。世に出たばかりのその雑誌に、井上は、日本政府に愛想を尽かした東北地方の一寒村が「吉里吉里国」を名乗って日本から独立を宣言するストーリーの『吉里吉里人』を連載する(1974年8月の8号まで)。この雑誌は9号で休刊となったため、小説の続きは「小説新潮」(1978年5月~80年9月まで)に連載し、1981年8月、新潮社から単行本として刊行された。
物語は、三文小説家の古橋健二が月刊誌「旅と歴史」の編集者である佐藤久夫を伴って、奥州藤原氏が隠匿したとされる黄金伝説に詳しい人物を取材するため、夜行の急行列車「十和田3号」に乗って出掛けるところから始まる。列車が一ノ関駅手前に差し掛かった時、古橋たちは、人口が約4200人で、公用語として吉里吉里語を用い、通貨単位に「イエン」を導入して日本から独立した(と称する)「吉里吉里国」に入国することになったのである。
日頃、日本から受けてきた「悪政」に不満を持っていた吉里吉里村は、周到な準備を経て、村全体で日本からの「独立」を決意し、実行に移したのである。当然、日本政府は反発し、「吉里吉里国」の独立を阻止すべくさまざまな策を講じるが、吉里吉里国側は食料やエネルギーの「自給自足」で、“国の土台”を固め、高度な医療(当時、日本では認められていなかった脳死による臓器移植など)や、金本位制、タックスヘイブン(税の免除・低課税地区)を世界にアピールすることで、日本国の自衛隊(ここでは他国を攻めるため「軍隊」)が簡単に攻撃できない体制を構築する。