「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(11) 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

都市化の波が共同体に与えた影響

その結果、全国の農山漁村で「過疎化」が急速に進み、そこから流出した人々は東京や大阪、名古屋といった大都会だけでなく、県都などの地方中核都市に吸収されていった。地方中核都市周辺の「農地」が工業団地や住宅団地と化し、恐るべき勢いで都市が「膨張」していく様は、全国の至るところで見られた。野間文芸新人賞を受賞した立松和平の出世作『遠雷』(1980年)は、まさに「膨張」していく地方都市(当時、立松が住んでいた栃木県宇都宮市がモデル)の近郊に出現した都市と旧農村地区との「境界」で起こる悲喜劇を活写した物語である。

先祖伝来の田畑を、県と市の要請により工業団地・住宅団地用地として売却した家族――手に入れた大金を抱えて父親は街に愛人を囲い、母親は「土方」に出ることで味気ない毎日を過ごし、祖母はテレビの前で一日中過ごすという、そんな家族を持つ一青年が、売れ残った1.5アールほどの畑で慣れないトマトのハウス栽培に悪戦苦闘しながら活路を見いだそうとするのだが……。物語の最後で、主人公は、田畑を売った金で父親が建築した豪邸に、「村=共同体」が解体されて散り散りになった村人を集めて結婚式を行う。「子どもを何人でもぺろりと産むような女」とのセレモニーの途中で、祖母が静かに息を引き取り、その事を知った主人公が遠くで鳴る雷の音を聞くという設定は、先(将来)に起こるであろう悲劇を予感させ、「境界」が豊饒(ほうじょう)な物語を生む場であることを確信させる。

『遠雷』は、都市化の波をまともに受けて解体してしまった村に何とかして踏みとどまり、村と農業の再建を試みる若者の物語であった。しかし、作者はこの物語を書き終わった後、「境界」では、共同体の解体にとどまらず、「家族」の解体から個の解体、つまり「人間の尊厳の否定=殺人を犯す」という事態にまで進むような「深刻な問題」をはらんでいることに気づいた。そのことを、『遠雷』に続いて『春雷』(83年)、『性的黙示録』(85年)へと書き継ぎ、最後には荒廃の極まった「境界」において、果たして精神の救済の可能性を提示する『地霊』(99年)を著し、世に問う。

【次ページ:かつての田畑に広がる無機質な風景】