「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(10) 文・黒古一夫(文芸評論家)
「自分探し」の先に
内部に自分でも説明することのできない「いら立ち」や「鬱屈(うっくつ)」を抱えながら、何かを探したり、期待したりするでもなく、その日その日を何とかやり過ごそうとしている若者の姿は、紛れもなくアメリカに追随することを「是」としながら、どこに着地点を見いだせばいいのか分からなくなっていた当時の日本人の生き方に重なる。
なお、そんな『限りなく透明に近いブルー』を書いた村上龍が、その後アメリカ資本(コングロマリット・複合企業)に支配された日本の「独立」を目指す英雄を描いた『愛と幻想のファシズム』(1987年)や、コンピューターを駆使して閉塞(へいそく)し停滞した日本からの「脱出」を実現した中学生の集団を主人公にした『希望の国のエクソダス』(2000年)を書いていることの意味を、私たちは真摯(しんし)に考えてみるべきかもしれない。
プロフィル
くろこ・かずお 1945年、群馬県生まれ。法政大学大学院文学研究科博士課程修了後、筑波大学大学院教授を務める。現在、筑波大学名誉教授で、文芸作品の解説、論考、エッセー、書評の執筆を続ける。著書に『北村透谷論――天空への渇望』(冬樹社)、『原爆とことば――原民喜から林京子まで』(三一書房)、『作家はこのようにして生まれ、大きくなった――大江健三郎伝説』(河出書房新社)、『魂の救済を求めて――文学と宗教との共振』(佼成出版社)など多数。
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