「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(10) 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

アメリカナイズされた日常がもたらすのは

また、戦後における映画や演劇(ミュージカル)、文学などの「文化」面でのアメリカの影響には計り知れないものがあった。例えば、「日本歴代映画興行収入上位100」を見ると、ワーナー・ブラザーズ、ユニバーサル・スタジオ、20世紀フォックス、UIP(ユナイティッド・インターナショナル・ピクチャーズ)、ディズニーといった映画会社の作品が上位の大半を占め、いかに日本人が「アメリカ映画」やディズニーなどのアニメーションを受け入れてきたか(好んできたか)、が分かる。

文学にしても、戦後からしばらくは明治以来のイギリス文学、フランス文学、ドイツ文学、ロシア文学などヨーロッパの文学が「世界文学」の中心を占めていたが、徐々にヘミングウェイやフォークナー、スタインベック、ノーマン・メイラーといったアメリカ現代作家へとその関心が移っていった。そして、最近では外国文学と言えば、ベストセラー作家の村上春樹が精力的に翻訳しているということもあって、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァー、ジョン・アービング、トルーマン・カポーティーなどのアメリカ現代文学の作家を指すようにもなってきている。

他にも、アメリカン・ポップといわれる音楽やジーンズ・ファッションの定番化、野球やバスケットボールなどのアメリカでメジャーなスポーツの浸透、さらには日本人の食生活を変えたといわれる、マクドナルドに代表されるファストフードの流行など、日本の「アメリカ化」もここに極まれりといった感がある。

では、このような日本社会の「アメリカ化」は戦後のいつごろから顕著になってきたのか。文学作品における「アメリカ化」の例を探れば、その嚆矢(こうし)は、村上龍の芥川賞受賞作品『限りなく透明に近いブルー』(1976年)ということになる。ベトナム戦争がアメリカの敗北で終わろうとしていた時代に、東京近郊のアメリカ軍基地(作中に「福生総合病院」という言葉が出てくるから、横田基地のことだろう)周辺に集まり、ドラッグや暴力に明け暮れる日本とアメリカの若者たち(男と女)の生態を描いた作品である。

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