「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(9) 文・黒古一夫(文芸評論家)

画・吉永 昌生

関心は、他者よりも自己に

青年・学生の間に「無気力」、「無関心」、「無責任」の三無主義(それに「無感動」を加えて、四無主義という言い方もあった)が蔓延(はびこ)るようになったのも、「玩物喪志」の風潮と無関係ではなかった。もちろん、三無主義の蔓延も、また「玩物喪志」の風潮も、1960年代後半から70年代初めにかけての「政治の季節」が学生反乱・全共闘運動を経て、連合赤軍事件(16名の同志殺人とあさま山荘銃撃戦)に至り、その形を変えながら学生運動側の「敗北」で終わったことと無縁ではなかった。

言い方を換えれば、学生の反乱は「われらに正義あり」との思い、そして「造反有理」(反逆には道理がある)の考え方を根底にして全国の大学を席巻したが、「敗北」に終わり、結果的には社会全体に論理的思考や高い倫理(モラル)を求める行為の「無効性」を告知することになったのだった。そのような社会の雰囲気を敏感に感じ取った若者たちは、無気力、無関心、無責任な三無主義に陥らざるを得なかったのである。

一方、60年代半ばから経済的利益だけを追求する日本人の姿は、打算的・利己的なものに映り、「エコノミック・アニマル」という言葉で揶揄(やゆ)された。実際、日本は68年にGNP(国民総生産)で当時の西ドイツを抜き世界第2位になり、ますますその「(物質的な)豊かさ」を満喫し、追求する傾向を強めるようになっていく。

こうした中で、社会に登場したのが、「自分は何者なのか」という疑問を抱えたまま、途方に暮れる若者たちであった。77年、第77回の芥川賞を受賞した三田誠広の『僕って何』は、著者の早稲田大学での学生運動体験を基にした作品であるが、そのタイトルからも分かるように、「自分が何者であるかが分からなくなった」大学生のアイデンティティー喪失を描いて大ベストセラーになった中編小説である。購読者の多さを考えると、社会の空気をよくとらえていたと言えるだろう。

母親と共に田舎から東京の大学にやって来た「僕」は、いつの間にかセクトの争いや「内ゲバ」に巻き込まれ、ちょっとした出来事から年上で党派の活動家である女性と同棲(どうせい)するようになる。しかし、「僕」は息子の行動を心配して上京した母親の愛も、また同棲中の彼女の愛も信じられないまま、どこに向かって進めばいいのか分からないまま、途方に暮れてその場に立ちすくむことしかできなくなる。

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