食から見た現代(28) 手を差し伸べ合えるきっかけに 文・石井光太

加藤氏はその後も東北の被災地へ通いつづける一方で、2016年の熊本地震、2018年の岡山県の西日本豪雨災害など様々な災害現場に駆け付けて炊き出しを行った。経験を積むごとにノウハウは確立されていった。

ただし、被災直後の町にあって、支援団体による炊き出しは必ずしも歓迎されるとは限らなかった。町に到着して県庁や市庁を訪れ、職員に「炊き出しをしたい」と告げると、ほとんどの場合次のように言われた。

「何かあった時に、役所として責任を取ることができませんので、ボランティアセンターができるまでお待ちください。ボランティアセンターに登録して活動するぶんには受け入れは可能です」

ボランティアセンターとは、全国から支援に集まって来た人たちを登録し、避難所などに派遣して活動してもらうための組織だ。

行政にしてみれば、発生直後の混乱の中では外部の組織を管理することができないし、トラブルが起きた時に責任を取れないという思いがあったのだろう。だが、ボランティアセンターが設立されるのは早くて災害後数週間、時には1カ月以上かかることもある。それでは炊き出しの意味が薄れてしまう。

そこで加藤氏は次のように言った。

「何かあった時の責任はすべてうちで負います。だから困っている人がいるところへ行って活動させてください」

行政には一切の迷惑をかけないと誓うことによって、どうにか活動を認めてもらっているのだ。

炊き出しをする際に加藤氏が大切にしているのは、先述のように人と人とをつなげるための取り組みだ。それには食料支援の枠組みを超えた取り組みをする必要がある。

加藤氏は説明する。

「炊き出しは、こちら側が何もしなければ、単に食事を食べて終わりの場になってしまうんです。私たちはそこから一歩先に行くために、人々が集って交流できる空間を作るようにしています。

たとえば、お祭りのようにビンゴ大会を開催したり、スーパーボールすくいをしたり、焼きそばの屋台を出したりすることで、参加者が楽しみ、距離が縮まるようにしている。ここで地元の人たちとのつながりや、私たち外部から来た人たちとのつながりができれば、次の新しい何かが生まれるきっかけになるじゃないですか。私たちはこれを『イベント型の炊き出し』と呼んでいます」

災害が起きたという事実や、被災者が体験した悲劇は、決して消すことができない。だからこそ、炊き出しと同時にイベントを開催することによって、そこに集まった人たちが手を取り合って、未来に向かって生きていけるような仕組みを用意したいと願
っている。それを実現するのが、イベント型の炊き出しなのだ。

ピースプロジェクトのこうした取り組みは、2020年に起きたコロナ禍の中で意外な活動を生むことになる。

それまでピースプロジェクトは、毎年5月5日に福島県南相馬市でこどもの日に合わせて「子どもまつり」を開催していた。「子どもたちに外で思いっきり遊ぶことで笑顔になってもらいたい、そして元気や勇気、希望を持ってもらいたい」を趣旨に、食事の提供の他に逆バンジージャンプやバルーンアートなど多数のアトラクションを用意し、丸一日遊べるようにしていたのだ。

ところが、新型コロナの感染拡大によって開催が見送られることになった。感染拡大の第一波、第二波とつづき、自粛期間が延びるにつれ、加藤氏は交流を求めているのは被災地の子どもだけでなく、地元の子どもたちも同じではないかと考えた。「子どもまつり」のような数百人単位の大きなイベントでなくても、数十人を対象にしたこども食堂なら開催できるかもしれない。

加藤氏はそう考えるや否や、東京都足立区の居酒屋の店主に相談し、駐車場を借りてこども食堂「ピース食堂」を開くことにした。足立区で行ったのは、東京23区の中でも貧困率やシングル家庭の率が高いためだ。

当初、ピース食堂は、コロナ禍であることを考慮して弁当を配布するだけだった。だが、これまで培ってきた人と人とをつなぐノウハウを活かし、少しずつイベント型を取り込んでいった。

特徴的なのは、プロの格闘家を招いてイベントを行ったことだ。加藤氏は本業のライセンスビジネスやプライベートでボクサーやプロレスラーといった格闘家と親交がある。そのつてを使って彼らに声をかけ、ピース食堂に集まった子どもや保護者に格闘技を教えるイベントを行ったのだ。

加藤氏は言う。

「中学生までは無料、高校生以上は300円に設定して、オージービーフのステーキなどを出しています。食事が足りなくならないように整理券を配布しているのですが、毎回いろんなイベントがあるのですべてなくなります。

同時に格闘技のイベントを行うのは、意味のあることだと思います。ただやってきてご飯を食べるだけじゃ、なかなか自分のことを話そうとしません。けど、プロの選手に教えてもらいながらサンドバックを殴っているうちに自然と悩み事を口にしたり、困っている別の子に声をかけて呼んだりするんです。

男の子の方が格闘技好きなイメージがあるかもしれませんが、最近は女の子もとても多く参加します。小さな子たちが朝9時にやってきて準備から片付けまで全部手伝ってくれる上に、学校や地元の情報をくれる。女の子がストレスを発散する場って、そう多くないので、格闘技が入り込む余地があるんです」

最近では格闘技の選手だけでなく、プロのサッカー選手やバスケットボール選手、パラリンピックの出場選手までもが参加しているという。また、プロのマジシャンがマジックを披露することもあるらしい。むろん、皆、ピース食堂の意義に賛同し、ボランティアで参加している人たちだ。

被災地での炊き出し、都内での子ども食堂、どちらもイベント型の会にしたことでピースプロジェクトを軸に様々な人のつながりが生まれるようになった。そしていつしかそれがピースプロジェクトの全国の活動を支える屋台骨になりつつある。

たとえば、能登半島では、2024年の地震発生直後だけでなく、その後も定期的に珠洲市を訪れて「子どもまつり」など地元の人向けのイベントを開催してきた。そこにピースプロジェクト側のスタッフとして参加している人の中には、かつて支援を受けた人たちが少なからず交っていた。

たとえば、前年にピースプロジェクトの支援を受けた中学生や、2016年の熊本地震の際に支援を受けた小学校の元校長が、珠洲市で「子どもまつり」が開催されると聞いて手伝いに駆け付けたのだ。

加藤氏は話す。

「私の理想の一つは、ピースプロジェクトが支援した子たちが大きくなって、支援する側に回ることです。その循環を生み出すためにピースプロジェクトとして何をするべきかを考えています。日本で暮らしていれば災害が起こるのは、ある意味やむを得ない。ただ、その時に誰もが当たり前のように手を差し伸べ合えるきっかけを作っていくことが大切なのではないでしょうか」

ピースプロジェクトのスタッフにもそういうメンバーがいる。熊本地震の時に学生だった人が、数年間大企業で働いた後に、自らやってきてスタッフとして働いているのだ。

最初にAARへの寄付をはじめた時に遡(さかのぼ)れば、加藤氏が行ってきた社会貢献活動は四半世紀に及ぶ。最近はがんを患って、体力も落ち、思うように体が動かないこともあるらしい。

ただ、加藤氏が社会にまいた種は芽を出しはじめているのは確かだろう。それが長い目で見た時にピースプロジェクト、さらには全国の被災地を支えることにちがいない。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。最新刊に『少子化に打ち勝った保育園─熊本「やまなみこども園」で起きた奇跡─』(新潮社)。

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