気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(5) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

苦しみの、その先――暮らしに溶けこむ出家のかたち

7月のタイは雨季真っ最中。そして約3カ月間のパンサー(安居=あんご)が始まる。パンサーとは、元々「雨季」を指す語だが、この期間、僧侶たちはそれぞれ一カ所にとどまって修行するため、修行期間そのものもパンサーというようになった。この時期に合わせて出家する人も多い。

出家というと、ブッダのように悟りを目指すようなイメージが強いのではないだろうか。しかし実際は、その他さまざまな理由での出家がある。タイではいつ出家しても、いつ還俗(げんぞく)してもよく、期間も人それぞれ。ブッダのように若い頃に出家して還俗せずに生涯を終える方もいれば、3カ月間、あるいは1カ月間出家する方もいる。そして、正真正銘の「三日坊主」もありという世界なのである。

ただし、得度式をしてお坊さんになった瞬間から、ライフスタイルが一気に変わる。ここがタイでは妥協できない点だ。世俗から離れて戒律を守り、慎ましやかに生活しなければならない。僧衣は単なるコスプレではなく、在家の人々からのまなざしを一身に受けて修行に励む約束の証なのだ。

さて、この出家。実はタイの夏休み期間(3~5月)に、小学生から中学生の子供たちが、数週間の沙弥(しゃみ)出家をすることも多い。坊主頭の男の子が托鉢(たくはつ)に歩く姿は微笑ましくて、思わず村人の顔もほころぶ。まるでタイ版の一休さん! 読経、瞑想(めいそう)、托鉢などを通して心のトレーニングを行うのが目的だ。サマースクールのような感じだが、実際のところは親孝行の意味も含み、親の方が息子の姿に感激して涙を流すこともある。彼らは夏休みが終わる前には還俗し、再び学校生活に戻っていく。

人が亡くなった場合にも、親族の男性たちが出家することがある。出家は徳を積むかたちの一つ。この場合は徳を故人にふり向ける回向としての意味を持つ。葬儀のための出家はさらに期間が短く、半日か長くて1日程度。それでも髪や眉をきちんと剃(そ)り、僧衣を着て葬儀に参列する。

タイの人にとっての出家は、職業ではなく「生き方」だ。または、心の苦しみを減らす「心のアスリート」とも言える。その道に専念する方を、在家の人は放っておかない。それは私たちがオリンピック選手を応援する感じに近いだろう。

人は必ず苦しみに出あう。どんなに経済的に恵まれていようが、青年期に人生に悩み、いずれ死の恐怖に怯(おび)えることもあるだろう。しかし、たとえ苦しみに打ちひしがれる日が来ても、それが人生の終わりではない。

人々の暮らしに溶けこむお坊さんのさまざまな姿。それを見ていると「苦しみのその先にも、必ず道があるんだよ」という声が、そっと聞こえてくる。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。