気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(49) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

私たちがコロナ禍において陥りやすい心の状態は「恐れ」「怒り」「放逸」の三つであるという。「放逸」とは、ついうっかりすること、これくらい大丈夫だろうと高をくくることを指す。例えばマスクをし忘れたり、〈私に限っては大丈夫〉と油断して対策せずに出歩いたりすることだ。そうした行動は自他に恐れを与えたり、怒りを引き起こしたりする。この三つの心の状態は、互いに関連し合い、心を長く苦しませるという内容だった。

実は何回目かの会議の中で、こんな場面があった。ある若いお坊さんが、今体調が悪いと吐露された。スティサート師はどんな症状なのかと彼に尋ねた。彼は「熱はないけれど、頭が痛くて、呼吸もしづらくなってきているような気がして……」と具体的に語り始めたのだけれど、途中から口調がどんどん変わっていったのだ。次第に、「もしかしたら自分は新型コロナウイルスに感染してしまったのかもしれない」という彼の不安が皆に伝わってきた。その時、スティサート師はパッとその流れを断ち切るように、「匂いや味覚が変わったようなことはある?」「熱は実際どのくらいあるの?」と、「今、ここ」に立ち戻れるような質問をされ、彼の不安はちゃんと不安として受けとめながら、一つ一つ事実を確認されていた。

アシュラムのfacebookには、宿泊を伴う訪問者の受け入れ中止の知らせが掲載された

私はその様子を見ながら、説法で話されていたことを思い出した。そして、この会議は、単に皆の身体を守るだけではなく、心を守るためのものでもあると痛感した。後日その若いお坊さんは、念のため数日の自己隔離を行ったが、体調が回復したため、再び日々の修行に参加されている。恐れ、怒り、放逸(ついうっかり)――この三つは誰にでも起こり得ることなのだ、という心の備えがあるからこそ、生じてきた時に対処できるのだと私は学んだ。備えあれば憂いなし、という言葉があるが、心に関して言えば「備えあれば、はまり込みなし」といったところだろうか。状況が刻々と変化する中にあって、体も心もしっかりと備えを持っておきたいと思う。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後、タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県にある瞑想修行場「ウィリヤダンマ・アシュラム」(旧ライトハウス)でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。