気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(41) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

もう一つ紹介したいプロジェクトが、パンカン・イム(おなかいっぱいになるように分かち合おう)だ。これは「プッティカー」というNGOがアイデアを出して、「食事を提供する店」と「困っている人の力になりたいと思うお客さん」、そして「経済的に苦しい人」の三者をつなげるもので、生活が苦しい人は、見知らぬ誰かの先払いでおなかを満たすことができるのだ。店主はこのプロジェクトに共感すると、店内に説明書きを貼るなどしてお客さんに知らせ、クーポン券を置く。スポンサーになってくれるお客さんは、自分の提供できる分のクーポン代を店主に渡す。経済的に苦しい人は、置いてあるクーポンをそっと取って店主に出し、客として食事を食べることができるというシステムだ。

食事を恵んでもらう――これは、受け取る側からすると、ありがたいが心苦しいという気持ちになる人、サポートを受けていることを見ず知らずの人に知られたくないという人もいるだろう。特に都市部に住んで経済的に苦しいタイの人々にとっては、なるべく他人にそのことを知られたくない。どうやって当事者のその気持ちを和らげつつ、必要ある支援につなげているのだろうか? ある店主がこう伝えてくれた。

「自然な会話の中でね、『もうご飯食べた?』って声を掛けてみます。この言葉はあいさつと同じですからね、相手もあまり周りを意識せずに答えることができるんです。ほとんどの人があまり抵抗を感じずに済むようで、クーポンを使って、一般の人と同じように料理を召し上がってくれます。私たち店側にとっても特別なことをする必要はありませんし、このプロジェクトに協力して善き行いができてうれしいです」

「ご飯食べた?」。この言葉には、相手を窮屈に、卑屈にさせずに、ふっと心を開かせることができる特別な力がある。厳しい状態にある中でも、まずはおなかを満たしているかを心配するタイの人々。これまで自然に培ってきた文化と知恵がこの危機の時代にあって、静かな力を発揮している。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後、タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県にある瞑想(めいそう)修行場「ウィリヤダンマ・アシュラム」(旧ライトハウス)でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。