気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(39) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

特に夫は、大学の教員を辞めてフリーランスになってから、「自立」ということを重視している。彼の言う「自立」とは、直接生きるために必要なもの(衣・食・住・薬)の材料をできるだけ身近な自然から必要な分だけもらい、自分自身の手でつくり上げることができる、という意味である。彼は教育という機会が学校だけに限定されると、いつしかお金を稼ぐための手段として組織に属することを優先的に考える、そうでないと生きられないと考える――つまり、組織への依存を高めるのではないかと感じている。

夫と今春卒園した息子

生活が都市化するにつれて、自然と共に暮らす機会が減り、お金が手元になければ、生活に必要な物資を手に入れられなくなってしまい、お金がなければ生きられないような錯覚を覚えてしまう。しかし、完全な自給自足とまではいかなくとも、特に食に関しては自立を目指すことが可能だ。自ら食べられる作物を育てることで、お金をできるだけ介在させずに自然からの恵みを頂くことができる。それは今、彼自身が挑戦していることでもある。

私も、夫のその姿勢には賛成だ。ただ懸念があるのは、基礎として身につけなければいけない知識をどう身につけるか、友達はできるのかという点だ。もちろん親ができるだけサポートし、その環境をつくっていこうと思う。また、心配するほどハードルは高くないとも思っている。今の子供たちはインターネットという道具をすでに手にしているからだ。注意が必要とはいえ、ネットを通じた外の社会とのつながりは容易になり、知識の習得もネットの力を借りる方が有益な場合もあるかもしれない。この点については、くしくも新型コロナウイルスの影響で学校が休校となり、オンラインによる授業が世界中で進んでいる。私たちにとっても、学ぶ方法や手段といったことを改めて考えさせられる機会となっている。

タイでは、実際にホームスクーリングを始めている人もいて、私の友人は「バーン・スワンパー・スックチャイ(幸せの森の家)」というホームスクーリングを応援するNGOの代表をしている。具体的なホームスクールのやり方や評価、行政(教育省)との取りまとめなどをしていて、初めて取り組む私たちにとっては心強い。先日、ホームスクーリングで学ぶ子供たちが年に一度行う学習発表会に参加した。来月はそこで感じたタイの子供たち、大人たちの様子から学んだことをお伝えしたいと思う。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後、タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県にある瞑想(めいそう)修行場「ウィリヤダンマ・アシュラム」(旧ライトハウス)でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。