気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(34) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
忙しさの正体――師走にふさわしい私の挑戦
師走に入り、2019年も残り少なくなってきた。師走は、クリスマス、忘年会、大みそかと、何かとイベントごとの多くなる時期である。今年1年の振り返りとともに、やり残したことを終えなければならなかったり、新しく迎える年の準備をしたり。なすべきことが増えていくシーズンともいえるだろう。
心がせわしなくなりがちな、そんな日々の中で、ついつい使ってしまう言葉がある。「忙しい!」だ。口から、ふっと出てくる言葉ではないだろうか? もちろん、実際スケジュールに追われて、分刻みで動き回っている方も少なくないだろう。
私はいつの頃からか、「忙しい」という言葉をほとんど使わなくなった。使うとしても、その言葉をかなり自覚的に使うようになってきた。それは、暇になったからではない。自分自身が忙しい、と感じている時は、“気づき”がないままに物事を行っている時なのではないか、と思うようになったからだ。
そのきっかけを与えてくれたのがやはり、タイのお坊さまだった。この連載でも何回か紹介している、スカトー寺の現住職パイサーン・ウィサーロ師の姿からだった。パイサーン師は、タイ国内の説法や活動のみならず、海外へも説法や会議に呼ばれることが多々あり、数年先までのスケジュールがほとんど埋まっているらしい。さらに本の執筆や雑誌の連載、またスカトー寺に関連する書籍の編集までなさり、テレビやラジオなどのメディアへの登場も少なくない。文字通り、売れっ子スター並みの超「忙しい」方だ。
しかし、実際にパイサーン師にお会いすると、その「忙しさ」をみじんも感じさせないのである。むしろ、師のおられる空間の周りには、ゆるやかさすら漂う。動きの一つ一つが丁寧で優しい。でも、気づきを強く意識するような、ゆっくりし過ぎる緊張感もない。なんとも自然な居心地良さが全身から伝わってくるのである。物理的なスケジュールとしては、「超忙しい」はずなのに、なぜ忙しそうには見えないのか。忙しくなさそうに振る舞っている、のとも完全に違う。何か秘訣(ひけつ)があるのだろうか、と長いこと疑問に感じていた。
パイサーン師の説法を日々和訳していく中で、そのヒントを見つけた。それは「今やっている行いを、一つ一つやること」の大切さだ。このことを師はよく話される。いくつもの仕事や用事を同時にこなすマルチタスク――それらは一見すると時間の節約となり、良いことのようにも思える。しかし実際のところは、今、目の前にある一つ一つに心を向け、気づきを得ながらする方が、実は心配や不安などの余計な思考にはまり込まずにできる。結果として、仕事の量、質、共に充実することが多いのである。
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