気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(32) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

タイのターミナルケアの現場から(前編)――病める方からのタンブン(徳積み)

9月上旬、ある公立病院を訪れた。ウィリヤダンマ・アシュラムのリーダー僧、スティサート師のターミナルケア活動に同行させてもらったのだ。師は毎月、その病院に入院している患者さんたちの元を訪問し、心の苦しみを減らすための触れ合いをされている。折から、日本の新聞記者がタイの生と死のありようについて取材したいという依頼があり、私は通訳として同行した。

日本でも現在、臨床宗教師やスピリチュアルケアワーカーなど、病や死に直面する方に寄り添い心をケアする宗教者(もしくは特定の宗教には基づかないケアギバーの方)が活躍し始めている。医療と宗教は、体と心という分野の違いはあれども、いずれも人の苦しみを取り除く役割がある点では同じである。特に心の苦しみをどう減らしていくかについては、医療従事者も苦しみを抱えてしまうことがあり、医療者自身も仏教を学び、瞑想(めいそう)を実践する方も、ここタイでは珍しくない。スティサート師を招聘(しょうへい)した病院の医師も、長年瞑想修行に取り組んでいる仲間の一人である。

スティサート師は、数日かけて、緩和ケアスタッフの医師・看護師の案内で患者さんの元を訪れ、優しく声を掛けて励まされた。実際のところ、タイの公立病院は、お世辞にも設備が整っているとは言い難い。広い病棟フロアに何十ものベッドがあり、仕切りはカーテンだけ。患者の家族も同じフロアにゴザを敷いて寝泊まりし、看病するのが普通の光景である。身体的な苦しみだけではなく、心の苦しみ、また経済的な苦しみを抱える方も少なくない。看病する家族たちもまた、さまざまな苦しみを抱えている。

病床の患者を見舞い、声を掛けるスティサート師

ベッドに横たわる患者さんの傍らに、ゆっくりと足を運んでいくスティサート師。そして「こんにちは。お坊さんが励ましに来ましたよ」と声を掛け、温かなまなざしを向ける。すると多くの患者さんは、合掌して師の目を見つめ返す。会話ができない方も、目をじっと見つめ、中には涙をにじませる方もいた。僧侶の姿を目にするだけで、彼らの心の中に喜びが生じているのだ。

会話できる方に対して師は、「一生懸命、子供さんたちを育ててきたんですね」「お仕事たくさん頑張ってこられたんですね」と、本人が元気な時にやってきた良きことを思い出せるように言葉を掛ける。また、ベッドサイドで心配そうに見守っている家族がいる時には「何か心配事はありますか?」と尋ねたり、もう意識がない患者さんの家族には「意識はなくても声は聞こえていますからね。元気だった頃のように声を掛けてくださいね」と語ったり、手や足を優しくマッサージしながら、触れ合いを促したりすることもある。

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