気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(32) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

また、日本では目にすることのないこんな光景を目の当たりにした。それは患者さんからスティサート師に対して物品(紙パックの牛乳やジュース、お菓子等)を捧げる「タンブン(徳を積む)」の儀式だ。師が患者さんに物をあげるのではない。患者さんが師に対して物を捧げるのだ。スティサート師は、ありがとうではなく「徳が積めてよかったですね」と祝福のお経を唱える。ありがたいという気持ちはむしろ、捧げる患者さんの方に芽生えてくる。

患者から「タンブン」を受けるスティサート師

タイでは徳を積む「タンブン」が日常的に行われている。通常は寺に行って僧侶に供物を捧げることを指す。徳はいわば、目に見えない心の貯金だ。良きことを実践し、徳を積む。生まれ変わりを信じている人々の中には、来世良きところへ生まれ変わりたいから徳を積むという方もいるだろう。しかしそれだけではない。良き行いを実践したその瞬間に、心の安らぎという良き結果を得られている。

病棟に広がる読経の響きを耳にして、ふと動きを止めて祈りを捧げる人たち。苦しみの中にあっても、ひとときの静寂を尊ぶ姿がそこにはあった。後編では、こうした光景を成り立たせる彼らの背景について考察してみる。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後、タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県にある瞑想(めいそう)修行場「ウィリヤダンマ・アシュラム」(旧ライトハウス)でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。