気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(25) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
別れ際に気づきを添えて――さよならのたたずまい
3月、日本では年度末を迎え、忙しい日々を過ごされる方も多いだろう。タイでは、官庁が定める年度末は9月。しかし、学校の年度始まりは5月中旬と別々である。日本のように、教育機関も官庁も民間の会社も、全て同じ時期にスタートすることはしない。だから、みんなで気分新たに新年度を迎えるという、日本では当たり前の雰囲気を、タイでは感じられないのだ。日本でのこの季節はまた、別れの季節でもある。慣れ親しんできた学校や学年、職場などが変わる方も多い。定年を迎え、長年働いてきた会社を去られる方もいるだろう。
実は、私がタイの人と接していて、言葉にできない違和感を覚えることがあった。それは「別れ方」で、友人、知人と接した後、別れる時に、「あれ?」と感じていた。皆さんは誰かと別れる時、どんな別れ方をしているだろうか?
はっきりと「別れ方の違い」を言語化できるようになったのは、実は結婚してからだ。きっかけは、日本へ一緒に行った夫からのある言葉だった。「日本の人って別れる時、『ありがとうございました。さようなら』ってあいさつしても、なかなか離れていかないよね。何度も振り返って『ありがとうございました』って。いつ、本当に別れたらいいの?」と。確かに客観的に見ると、夫に指摘されたように、私は何度も何度も名残惜しさを表しながら、日本の方と別れていたように思う。それが、当たり前だと思っていた。
タイでは、人と別れる時、非常にあっさりしている。相手が友人でも、先生でも、お坊さんでも、お別れのあいさつを伝えて合掌したら、そこで終了。まだ互いに相手が視界に入っていても、何度もお礼を言うことなく去っていく。私はタイ人と初めて触れた学生時代、あまりにあっさり相手が去っていくので、「私は嫌われているのかな?」と不安になった。でも、よく観察してみると、どうやらそうではなさそうだ。タイ人同士でも、同じようなものだったのだ。