気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(20) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

手術から数日後、ある人たちがアポなしで母の見舞いにやってきた。なんと、私が住んでいるライトハウス(現在は名称を「ウィリヤダンマ・アシュラム」と変更)のお坊さまたちだった。母のけがを知り、100キロの道のりを駆けつけてくれたのだった。思いがけない訪問に、母も私も有り難い気持ちでいっぱい。母は、訪れたスティサート師にこう質問した。「これから私はどういう修行をすればいいでしょうか?」。スティサート師は優しいまなざしで「動かすことができる体の部分に、一つ一つ気づきを伴わせるといいですよ。『今ここ、今ここ』でね」と、気づきの瞑想を病室でも実践することを勧めてくれた。穏やかなお坊さんという存在感が、言葉を超えた安心へとつながるのを私は確かに感じていた。

お坊さまの訪問後、私は驚いた。なぜなら、明らかに部屋の空気が一変していたからだ。少々重々しかった病室の空気が軽やかになっていたのだ。きっと母の心も、私の心も、気づきを意識してはいたものの、やはりどこかで緊張して力が入っていたのだろう。お坊さまたちの訪問は、まるでパワーの風を吹かせるかのようだった。入院となると、過去や未来、いろいろなことに心が動くのだが、“今ここ”を意識する雰囲気が病室にいる人々に安心を生じさせ、皆がハッと目覚めることができたのだった。多くのタイの人たちは、病気になった時お坊さんがお見舞いに来てくれるのを大変喜ぶのだが、その気持ちがよく分かった。

気づきの瞑想。それはけがをしても、病気になっても実践することができる。心配や後悔に心がのみ込まれそうになっても、“今ここ”に立ち戻れる。その実体験を母の骨折を通して教えられた。動きを伴うこの瞑想は、けがはせずともリハビリをしているようなものだ。日常の動作、あらゆる場面の一つ一つに、気づきを確かに添えていく。ただそれだけで、体と心のリハビリになるのだ。

母の体の回復を祈りつつ、私も日々、体と心のリハビリをたゆまず続けていこうと思う。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。