気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(19) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
仕事はダメになっても、私がダメになったわけではない――カムキエン師の仕事観
先月8月、「森の寺」と呼ばれるスカトー寺の前住職で、私の尊敬する僧侶の一人、故カムキエン・スワンノー師にちなんだイベントが行われた。8月はカムキエン師の誕生日および祥月命日があり、師の遺徳を偲(しの)び、法(タイ語でタンマ=真理)を実践し、精進を誓うためのイベントだった。
私は大学生の頃にカムキエン師のことを知り、興味を抱いた。なぜなら、彼は僧侶でありながら農村の開発を通じて貧困の解消に取り組む「開発僧」と言われていたからだった。開発僧とは、実際にどのような活動をしているのかを知りたくて、師や村人への調査を始めて以降、現在に至るまで、長年スカトー寺ウォッチャーとして彼らの動向を見守っている。そのキーパーソンがカムキエン師だ。
師の歩みを簡単に紹介しよう。彼は1936年、タイ東北部に位置するコンケン県の農家に生まれた。貧しさにめげず、若い頃から懸命に農業で生計を立て、かつ困った人を手助けする精神にあふれた青年だったという。その後、僧侶のティエン・チッタスポー師に出会い、気づきの瞑想(めいそう)修行を行う中で、法の道を志すようになり、出家。彼の親戚であるブンタム師が、森の寺で修行していた縁から、カムキエン師も森での修行を決意し、スカトー寺を拠点にして修行を始めた。
当初は自身の修行と法を伝えることに専念しようと思っていたが、村人の暮らしは貧しく、病で幼い子供が亡くなったり、村人同士のいさかいも絶えなかったりと、その様子を見過ごすことはできなかったのだ。寺の境内に保育園をつくって子供たちを預かったり、米銀行(金ではなく米を持ち寄って再配分する組合のようなもの)をつくったり、自然環境を守る森林保護活動を始めたりした。
こうした活動を続けていくうちに、いつしか「開発僧」と呼ばれるようになった。あらかじめ開発僧という存在や資格があったのではなく、僧侶であり、社会活動も実践する僧侶を、第三者が見てそう名付けたのだった。最初から世のため、人のため、社会のためだったわけではなく、目の前で苦しむ人を手助けするという、その実践の繰り返しが社会活動へとつながっていったのだと、私は後に知ることになった。
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