気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(17) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
それではどうすればいいのか。「思考をしない」と思考を押さえ込むのではなく、「ただただ気づく」、リラックスして、生じたことを「ただただ」気づくだけでいいのだ。すると、肩の力が抜け始めて、なるほどこういうことか、と腑(ふ)に落ちてきた。ただ、1回腑に落ちたぐらいでは不十分で、うっかりすると何度もはまり込んでしまうから、トレーニングが欠かせない。
タイでは、寺での瞑想修行はポピュラーで、希望すれば瞑想できる場がたくさんある。しかし、そうしたタイの人々も、企業に勤め、都会的な暮らしをする人が増え、「なかなか寺を訪れる時間がない」という人たちも増えている。オンラインでこのプログラムに参加している方の多くは、そのような方たちであろう。
パイサーン師が短い説法の中で語る内容は至ってシンプルだ。朝起きて歯を磨く時、歯を磨いていることにちゃんと気づくこと。ご飯を食べる時に、ご飯を食べていることに気づくこと。一度に複数の仕事をこなすマルチタスクではなく、一つ一つの仕事に気づきを持って向き合うこと。
そうした気づきに対する説法を意識して生活してみると、私にもさまざまな変化があった。時間がいつもよりゆっくり過ぎているように感じ、忘れ物などのミスが少なくなった。一つ一つをパッと意識し確認するだけだが、心配や後悔の思考が生じても、数秒後にはまた、「今ここ」に意識を戻すことができるのである。心も体も軽やかさを保ちながら、やるべき仕事はしっかりと終わっているのだ。日常で一つ一つの行動に意識を向けて、気づきを高めること。もしかしたらこれは、一人ひとりがすぐに始められる究極の「働き方改革」なのかもしれない。
プロフィル
うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。