気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(17) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

オンラインで気づきを育む――タイで学ぶ究極の「働き方改革」!?

私は今、タイのNGO「プッティカー」が主宰する「オンラインで気づきを育む」というプログラムに参加している。森の寺と呼ばれるスカトー寺住職のパイサーン・ウィサーロ師による短い説法がライブ配信される、初めてのプログラムだ。日頃、お寺や瞑想(めいそう)修行場に行く機会がなくても、日常生活の中で気づきを高める修行を、という趣旨のもと、フェイスブック内にある限定のグループで行われている。

事前登録を300人の定員で募集したところ、あっという間に満員となり、1000人へと増枠した。だが、それもすぐに埋まってしまった。タイでの関心の高さを物語っている。7月1日から6日まで毎日、一日3回(6時、12時、19時)、多くの人が仕事をしている平日の時間帯に、5分程度の動画が配信された。

「“今ここ”に戻ること」「今(目の前の)やっていることに気づきを向けること」など修行のポイントが紹介される。参加者はコメント欄で質問することができ、夕方には、お坊さんから回答をもらうことができる。新時代を感じさせる修行スタイル である。

スカトー寺住職のパイサーン・ウィサーロ師

「気づき」とは、タイ語でもパーリ語でも「サティ」という。日本語に訳すと「念」となる。念というと、「念仏」や「念じる」を思い起こすから、何か願いを強く心に描いたり、一心不乱に言葉を唱えたり、というイメージが強いかもしれない。しかし、ここでいうサティは、パッ! ハッ! といった感じだ。「今ここ」に戻る、「今やっていること」にしっかりと意識を向けることを意味する。タイ語でサティを解説する時には、「クワムラルック・ダイ(思い起こすことができること)」とも表現される。瞑想修行を通して鍛えようとするサティは「今を思い起こすこと」である。今やっていること、今ここで生じていることをはっきりと思い起こせるかどうか――。過去や未来に関する思考が生じても、はまり込まず、また「今ここ」に戻ってくることが肝要だ。それが心のトレーニングなのである。

今ここに戻ることなんて、なんだ、簡単じゃない?――私が瞑想について学び始めた頃には、そうした思いを抱いていた。しかし、実践してみると、これがなかなか難しい。自分の心であるはずなのに、勝手に思考があちこちに飛び、ときにはさらに異なる思考が次々と生じて止まらなくなる。そして、考えまいと思えば思うほど、思考がものすごい勢いで生じる。

【次ページ:「ただただ」気づくだけでいい】