気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(14) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)
犬をはじめとした動物たち。彼らもまた、タイ仏教の中でもさまざまな学びを伝えてくれる存在である。私が、翻訳しているパイサーン師の説法にもよく動物が登場する。印象的だった説法がある。「犬からは自我が満たされることを学び、猫からは無我を学ぶ」という話だ。人に懐きやすい犬と、人にあまり懐かない猫。それぞれの生態の違いを示し、そう読み解いたのである。そして、「犬は餌をくれた人間を神と思い、猫は餌を与えられる自分を神と思う」と記した研究者の文章を引用し、犬に慕われている時、私たち人間の自我が満たされる喜びを知り、逆にそっけない対応の猫からは無我、すなわち、「自分が」という見返りの心を少なくすることの学びを得られると説かれたのだった。
人間は犬と共に暮らす中で、多くのメリットを享受してきた。猟の伴、番犬、心の癒やし……。現代はペットとして多くの犬が飼われているが、主な役割は飼い主の心の癒やしだろう。彼らの忠誠心や賢さ、慈しみは言葉を介さなくとも飼い主に伝わり心を慰めてくれる。飼い主に危険が及びそうになると身をていして守ってくれることもある。実際ライトハウスの犬も、たまに危険なヘビを捕まえてくれて、私たちをガードしてくれる。本能的なものだろうが、自然の中にいると予期せぬことに遭遇することが多いので、同じ生きものとして 同志という絆が強まってくる気がする。
「生きとし生けるもの」――仏教のお経の中によく出てくるフレーズだ。そしてそれらの幸せを願う姿勢が推奨される。日本にいた時は、正直ピンとこなかったけれど、今の暮らしの中では強く実感している。人間だけでなく犬や猫、ヘビやトカゲ、蚊やアリたちも容赦なく共に暮らす森の生活。もちろん苦手な動物、なるべくお近づきになりたくない動物だっている。しかし、互いに適度な距離を保てば、暮らすことができるのだ。嫌悪感が生じやすい蚊だって、蚊帳をつれば、蚊を殺さず、かつ人間も快適に眠れる。互いを圧迫しない智慧(ちえ)がある。
ヒマをはじめ、思いがけない動物たちとの出会い。いつの間にか彼らは私自身の“心のイキイキ”を支えてくれている。イキイキは、リアルな生きものとの出会いによる贈り物だったのだ。
プロフィル
うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。