気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(11) 文 浦崎雅代(翻訳家)

© Neng Tiao

パイサーン・ウィサーロ師は、森の寺と呼ばれるスカトー寺の現住職。同寺前住職でタンマヤートラの提唱者である故カムキエン・スワンノー師のもとで、長年修行を続けられてきた。出家前からNGO活動にも従事されており、私が最も尊敬する僧侶だ。数年前から師の説法を訳しているが、ずっと心に残っているフレーズがある。「精いっぱいやるけれど、シリアスにならない」だ。実際の行い(タム・キット)は今ここで精いっぱいやっていくけれど、心(タム・チット)は成果や期待を手放しながらやる、という意味である。

タンマヤートラの最中、延々と続く登り坂に差し掛かった。「うっ、しんどい!」と感じた私は、すぐさま、この坂があとどれくらい続くのだろうかと考えながら、坂の上に目を向けた。その瞬間、心がグッと重くなり、自分の表情が引きつるのを感じた。この時、師の言葉を思い出した。そして、足元をパッと見た。目的地に早くたどり着きたいという心を手放すのだ。その気づきを保ち、もう一度、坂を見た。すると今度は、視覚的に坂の終わりが見えていても、心に焦りは生じなかった。「気づきが間に合う」というのはこのことか、と腑(ふ)に落ちた。

普段いかに「今ここを精いっぱいやらないのに、心はシリアスになってしまう」ことの多いことだろう。結果ばかりを気にして、肝心の今の歩みは止まっている。大事なのは“今ここの歩み”であると、実際に足を動かしてみて改めて知った。一歩一歩、気づきをもって進む。人生のタンマヤートラは、まだ始まったばかりだ。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。