気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(9) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

「死ぬ前に死ぬ」という生き方――カンポンさんに学ぶ

タイ語に「ターイ・コン・ターイ(死ぬ前に死ぬ)」という言葉がある。タイで高僧として知られるプッタタート師が生前に語られた言葉だ。奇妙なフレーズだが、その意味するところは「肉体の死を迎える前に、“この私が”という我執(がしゅう)を死なせる」ということである。だから「死ぬ前に死ぬ」ことは良きことであり、修行者の目指すところであるというのだ。

20年前に初めてこの言葉を聞いた時、正直にこう思った。〈そんなこと絶対に無理〉と。死に対する恐怖心は、人間が本来持ち合わせている本能のようなものだ。仏教では、それを我執と説く。だが、頭では分かっていても、そう簡単にとらわれから離れることなどできない。だから私は、死についてあまり考えないようにした。しかし、目を背け続けるとかえってつらくなる。逆に死を美化し、強い意味づけを加えることもあった。ただ、納得はできずモヤモヤした。

心の引っかかりを抱えながらタイと日本を行き来して学び続けていた頃、「死ぬ前に死んでいる」と本当に感じさせてくれる方が現れた。

真言宗沖縄山長谷寺(沖縄・糸満市)で講演するカンポン師

カンポン・トーンブンヌムさんだ。全身麻痺(まひ)の障害がある在家の仏教者で、「気づきの瞑想(めいそう)修行」によって心の苦しみを超えた方だ。穏やかさと慈愛のあふれるさわやかな笑顔、気づきと智慧(ちえ)に満ちた楽しい話の数々――その姿に、この方はただものではない! と感じた。その後、10年前には彼の本を邦訳して出版した。その後もカンポンさんからの学びは続き、昨年60歳で死を迎えるまで、間近で彼の姿を見守らせてもらった。

カンポンさんは「体に苦しみがあっても、心まで苦しまない」ことを体得されていた。体験からにじみ出る生きた教えを学びたいと、彼の元を訪ねる人はどんどん増えていった。私も多くの日本人との縁をつなごうと通訳に徹した。カンポンさんと話していると、訳している私の心までイキイキとしてきて、力がみなぎってくる。

〈心に苦しみがないというのは、こういうことか!〉と深く腹に落ちた。私はただの一度も、彼がイラッとしたり、ムッとしたりして心苦しむ瞬間を見たことがない。彼をケアしていた方たちも異口同音にそう語る。自分を押し殺して苦しみを我慢しているのではない。苦しみがないのだ。それは、自らの死が本当に近づいても変わらなかった。もちろん肉体の苦しみはあるだろう。だが、心が全く苦しまない。その中で、死という現実すら、こうして自然に受けとめられるのだということを、目の前で教えてくださった。

私が住むライトハウスは、カンポンさんが最期の時を過ごし、火葬され自然に還(かえ)った場所だ。時折雲一つない空を眺めながら、カンポンさんの姿が目に浮かんでくる。そして今、心から思っている。「死ぬ前に死ぬ人生を、私も歩みたい」と。

プロフィル

うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。