栄福の時代を目指して(23) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

起死回生の道はあるだろうか?――中道「改革」という可能性

私自身は、総選挙時に、中道結成において、両党の合同によって「リベラル・コミュニタリアニズム」の理念に対応する政党の生成を観て、微力ながら建設的な提言をさまざまな形で行ってきた。この政党の現在には幻滅しつつも、このような政治的生成の意義は確信しており、可能性に絶望したわけではない。

もっとも大事なのは、選挙前には急造した理念と政策を根本的に議論し直して、再確立することだ。それによって、「妥協的」という負のイメージを払拭(ふっしょく)し、悪しき政治に対峙して戦うという政党本来の姿勢を確立することが、離反した支持者を引き戻すために必要だ。そのためには、立憲系の人々と公明系の人々が熟議し、共に新しい価値理念をつくり上げることが必須だろう。私はそれを「価値共創」と呼んでいる。

そもそも確固たる理念がなければ、政党とは脆(もろ)い存在である。リベラルとコミュナル、つまり自由と共生という理念が確立していれば、政策はそこから導き出される。極右政権がこれらの理念を損なっていれば、徹底的に抵抗するのが当然だ。それができないということは、理念の未確立を自ずと物語っている。

中道とは、理念の欠如や妥協を意味するわけではなく、左右両極の中で、知恵と熟議によって、状況に最も適切な政策を見いだしていくという動的な原理だ(第16回〈前編〉参照)。現実政治が、極右になってしまっている以上、それに徹底抗戦するのが理の当然であり、左右中道のバランスの中で中道左派路線が今は求められる。先述の選挙分析からも、右派路線が破綻しつつある現状からも、今の状況では、中道左派路線に大転換することによって初めて、政党としての未来が開けると思われる。

つまり、「中道改革連合」は、政治を「改革」することに失敗し、「中道」自体の改革が必要になっているのである。よって、熟議によって理念と政策を根本的に刷新し、それに基づいて、中道左派的な新執行部が成立する時にのみ、起死回生の道が開けるかもしれない。これは、いわば「中道バージョン2」というべき構想だ。これは中道という理念そのものを否定するものではない。むしろ、自由と共生という価値理念を改めて確立し、現在の状況にふさわしい形で再生させる試みである。その意味では、「中道」という政治的生成には、なお次の展開につながる可能性が残されている。そのためには、一定の時間が必要だろう。少なくとも今の時点では三党合同は決定せずに、多くの市民たちも含めて熟議することが望ましいと思われる。

このような迷走状況になってしまっている最大の理由は、不正なデジタル・ネガティブ・キャンペーンによって中道左派議員の多くが総選挙で議席を失い、衆議院が機能低下してしまっているからだ。辛(かろ)うじて参議院は機能を保っており、皇室典範改定にも立憲は反対して、立法府の総意という建前が崩れて、再改定への道を残した。よって、片肺代表制の状況では、参院・立憲の存在は、自由や良識の守り手として貴重だ。妥協的で戦わない中道執行部はそれに代替できないから、立憲がなくなってしまっては、ますます政権の暴走と政治的危機が深まる。

だから上述の大転換が実現するまでは、三党はそれぞれの特色を保ちながら連携するのが最善だろう。さらに、連携は三党だけに限定する必要はない。このような方向が、次節で述べるような、新しい可能性につながっていくかもしれない。

リベラル共生と直接民主主義の挑戦――国難に対する市民リコール運動は現れないだろうか?

ちょうどこの稿を書いている時に、前衆院議員たち(川内博史代表、阿部知子共同代表、平岡秀夫幹事長)が「護憲リベラル共生(略称ゴリラ)」という政治団体を結成する(記者会見、8月19日)という報道が目に留まった。16名ほど参加議員・前議員がいるらしい。私たちの署名活動の呼びかけ人として運動を主導されてきた政治家たちが中核だから、中道に幻滅している気持ちは仄聞(そくぶん)していたが、この名称を知ったのは初めてだった。

本来、「護憲」は、左右を問わず当然の理念だが、「護憲リベラル(略してゴリラ)」だからリベラルに比重がありそうだ。上述の中道左派に対応しそうである。

私が思想的に注目するのは、「リベラル」とともに「共生」という理念が入っていることだ。早速設立宣言を入手して見てみると、「人間社会相互の関係を支配する崇高な理想である、相互理解と愛と信頼を深く自覚し、自分らしく活きられる平和な『共生社会』」という文言があった。「共生」という言葉は多様に使われているが、これなら、精神的な価値理念を含んだ「共生」、つまり「コミュニタリアニズム」でいうところの、理念や美徳に基づく「コミュナル」と解釈できる。

実は、私は中道改革連合が結成される時に、この立憲系の政治家たちに「中道共生(連合)」という名称を口にしたことがある。中道は価値理念を政党名に導入するところに新しい特色があるので、「徳義共生主義」の中で「共生」という理念が活きるのではないかと思ったのだ。

そこで、「リベラル共生」という概念は、「徳義共生主義=リベラル・コミュニタリアニズム」と響き合う。そう考えると、中道に続いて、ここにはこの思想に近い新たな政治的生成が始まっているのかもしれない。しかも、これは中道の理念とは背反せず、その理念を別の方向から発展させ、相互に連携してゆく可能性を持っている。新しい思想的な理念が政治的に結晶する起爆剤や、触媒になることを期待したい。

これは、政治団体であって政党ではないという。立憲所属の政治家も、中道所属の政治家も入っているようだから、理念や政策の一致するところで連携していくことができるだろう。中道がバージョンアップして本来の「自由と共生」という理念を再生させるならば、立憲民主党や「護憲リベラル共生」とも、それぞれが独自性を保ちながら連携し、新しい政治的潮流を生み出す可能性も考えられよう。

同時に、私が注目するのは、この前議員の方々は、直接民主主義的な署名活動を実行してこられたということだ。そして、このような政治的展開を市民社会の側から支える場となり得るのが、私たちが行ってきたような署名運動である。私たちの署名は、冒頭に述べたように5万筆を超え、外務省に対して民意を伝えた。私の知る限り、これは、エネルギー危機に対する最大の署名運動だ。また、先月に言及したように、川内前議員たちが開始した皇室典範関連署名は、6万8000筆を超えている。いずれも多くの署名者が集まっており、政治的テーマについての代表的署名運動となっている。

これは、政治的な新しい試みだ。デジタル・ネガティブ・キャンペーンによって、議会制民主主義が機能不全に陥ってしまった時に、民意を直接民主主義的な方法で表現しようとするものだからだ。この新しい民主主義的挑戦が発展していくことを願いたい。

当面、衆院解散は行われないと思われる以上、それまでは直接民主主義の方法で民意を公共的に表現していく他はない。そこで私が思いついたのは、上記のような個別的テーマでの署名に続いて、極右的政権の横暴に反対するという、民意を表す署名運動の可能性だ。

そもそも、ルソーは、イギリスの代議制について、要約すると「イギリスの人民が自由でいられるのは議員を選ぶ選挙の間だけで、選挙が終わると奴隷になってしまう」と喝破した(『社会契約論』)。今の日本は、倫理的な意味での不正選挙によって、まさにこの状況に陥っている。片肺代表制になり、首相が国会などで説明をせずに民主主義は危機に瀕している。野党が少数派に陥っていて、与党は数の力で暴政を行っている。

このような時のために用意されている直接民主主義的制度が、リコールだ。日本でも、地方自治法では首長や議員の解職や議会解散を求める直接請求制度があり、原則として有権者総数の3分の1以上の意志が集まると、住民投票が実施される。それによって首長が失職した例も相当数ある。この後は、選挙で代表者を決めるから間接民主主義を補完することになるが、住民の意思表示で失職させるという点ではまさしく直接民主主義だ。

ところが、国政ではその制度がない。そこで、代替的運動として、国政で市民がリコールを求める大規模署名運動は不可能だろうか。代表的な署名サイトである「change.org」で調べてみても、自治体首長に対して辞職を求める運動は見られるが、首相に対しては少ないようだ。リコール制度がないので、このような政治的想像力が、人々に欠けてしまっているのではないだろうか。

国難に対する内閣不信任決議案――平和と生活のための結集点

代表制民主主義においては、これに相当する制度が内閣不信任決議案だ。これだけ政府の失政が続いていれば、通常は野党第一党が中心になって内閣不信任決議案を提出する。もともと少数派なのだから、否決されるのが通例だが、与党の造反があれば可決される可能性も皆無ではない。戦後には4回実現している。結果はともかく、反対の民意を表す政治的行動として、これは極めて大事だ。

ところが、中道改革連合は特別国会で不信任決議案を提出しなかった。皇室典範改定に賛成したわけだから驚きはないが、それでもあきれてしまった。個別の政治的問題だけではなく、民主主義そのものの危機なのに、それを守ろうという気概や覚悟が皆無に見えてしまうからだ。義のために戦うという気迫を欠いた、軟弱政党としか言いようがない。人々から愛想を尽かされて当然だ。

デモなどで現れている政府不信の民意を政党が代表できないのならば、直接それを表現する他に方法がない。たとえば、「内閣総辞職を求めます」とか「不正選挙を正すため、衆議院解散を求めます」といったような標語で、民意を集約して表現することが考えられるだろう。
(*調べてみたところ、高市氏の辞職を求める署名は「change.org」にすでにあり、議員辞職を求める署名は3万筆を超えていた)

もっとも、それ以外にも最低限の結集点は必要だろう。制度があれば、リコールが成立した時点で選挙が行われるのだが、国政にこの制度が存在しないので、選挙を行うための暫定内閣が必要になる。

平和と生活のために、倫理的不正による総選挙と、それに基づく現内閣の暴政を正すことが目的だ。よって一致点は、冒頭に挙げた国難を乗り越えるため、「①イランをはじめとする国々との友好的平和外交によるエネルギー危機回避、②皇室典範再改正、③民主主義の正常化、④物価高騰を沈静化させる経済政策大転換、⑤デジタル・ネガティブ・キャンペーンの禁止」などで十分だろう。

ここには、何も急進的な改革政策はない。①は、ある意味では、自民党でも「ハト派」が主張してきた政策に近い。②は、石破前首相はじめ、同様の声が自民党内にもある。③は、国会に首相が出席したり、記者会見を行ったりするということだから、歴代政権が行ってきたことに過ぎない。④は、先述したように、自民党内でも主張されていることだ。⑤は、デジタル・ネガティブ・キャンペーンによって倫理的な不正選挙が行われては意味がないからだ。これには選挙法改正が必要になるが、これまでさまざまな選挙規制が行われてきたのと同じである。要は、このようなリコール運動が必要になるということは、いかに異常な政治になってしまっているかということを表しているのである。

よって、これは自民党支持者も含めて、超党派の運動たるべきだろう。自民党の良識的政治家、中道改革連合や立憲民主党、「リベラル共生」のような新しい政治団体、さらに左翼政党とも両立が可能だ。このような民意に応える新内閣の成立が、国難回避のための急務だろう。

本田由紀教授(東京大学大学院)の「そこをどけ!」という気迫溢(あふ)れる政権批判スピーチ(国会前「せんそうさせない緊急アクション」、2026年5月29日)は、SNSで広く拡散され、数千万規模で関連動画が再生されたという。同じような気概で、憂国の志士たちが立ち上がることはないだろうか。人々のイニシアチブでこのような民意が大きく表現され、良識ある政治家が呼応して、平和と生活のための大きな潮流が生じ、民主政治が正常化する――これが、一政治学者の非現実的夢想ではないことを望みたい。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究院長、千葉大学公共研究センター長で、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘(しょうへい)教授兼任。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、ポジティブ心理学に関しては、公共哲学と心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学』(平凡社新書)、『アリストテレスの人生相談』(講談社)、『神社と政治』(角川新書)、『武器となる思想』(光文社新書)、『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社)など。