共生へ――現代に伝える神道のこころ(22) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
日本の神々と人と馬の関係性――社会を支え、神を乗せる貴重な存在
かつて、ある神社の宮司さんと談笑していた際、「私はまもなく80歳を迎えるが、例祭ではいまだに装束姿で馬に乗っているんだよ」とおっしゃっていたのを思い出した。この言の通り、各地の神社では時折、祭礼行事にて馬に騎乗した神職らの姿を見ることがある。
また、関西のある神社にて祭礼調査の折、御旅所(おたびしょ)までひかれていく直前の神馬(しんめ)を一目見ようと、多くの人々が神幸(しんこう)行列の周りに集まっている光景に出くわしたことがあった。日頃、その馬の管理に携わる神職は、「神馬は本当に人を集める力がある。やっぱり人は牛や馬が好きなんだね」とおっしゃっていた。この言葉からも、神々を介してうかがい知る日本人と牛や馬との関係性には実に興味深いものがあろう。
このことをふと思い出したのは、以前、本紙の寄稿(第17回)にて社寺に奉納する「痛絵馬(いたえま)」についてわずかながら言及したことにある。一般的に絵馬の起源は、神社への馬の奉納が変化したものだと考えられている。しかし、アニメやマンガ、ゲームなどのサブカルチャーに深く関わる「痛絵馬」は、社寺に祈願や感謝の念をもって奉納される従来の絵馬の類別から見れば、やや趣が異なる。その点でも痛絵馬は絵馬の新たな形の一つであり、民俗信仰の観点から見ても面白い事象である。そこで、今回は馬と日本の神々との関係について述べてみたい。
中国古代の歴史書である『魏志』倭人伝には、日本には「牛・馬・虎・豹(ひょう)・羊・鵲(かささぎ)なし」との記述がある。考古学的な見地はともかく、同書の記された弥生時代後期には、我が国に牛馬がいなかったということだ。馬が我が国の歴史書に登場するのは、『日本書紀』雄略天皇十三年九月の条に「甲斐の黒駒に乗りて、馳(は)せて」とあることから、日本では少なくとも古墳時代にはすでに種々の用途に人々が馬を用いていたと考えられている。以降、我が国では人の能力を超える強大な力を持つ馬が農耕作業や交通、軍事、物資の運搬に利用されるとともに、人々の社会生活を助ける貴重な存在として飼育されてきた。
また、「神馬」とも称すように、日本人は馬を神の乗り物としても考え、神聖視してきた。前述した通り、祭礼等に馬を用いる神社もある。東京都内の例としては千代田区の神田神社(神田明神)や板橋区双葉町の氷川神社が挙げられる。全国各地で宮司や禰宜(ねぎ)ら神職が例祭の折に、馬に騎乗して氏子区域を練り歩くケースがある。馬が登場する祭礼で特徴的なのが、宮崎市の宮﨑神宮の例祭だ。
同宮の秋の例祭では、宮司や禰宜ら神職が馬に騎乗して、御祭神である神武天皇の御霊(みたま)をうつした神輿(みこし)とともに、御旅所までの4キロを練り歩く。行列の前列を御神幸行列、後列を神賑(しんしん)行列と呼ぶ。この神賑行列の中に、宮崎県の伝統的な習俗として知られる「シャンシャン馬」と呼ばれる模擬新婚夫婦による行列がある。着物を着た女性が馬に騎乗し、着物姿の男性が馬をひいて練り歩く人気の行列で、多くの見物客で賑(にぎ)わう。なお、「シャンシャン馬」自体は、花嫁を馬に乗せ、花婿が手綱を取って旅姿で日南海岸沿いの険しい道のりを、鵜戸神宮(うどじんぐう)へ参詣するというもので、江戸時代中期から大正初期まで宮崎県内で行われていた婚礼習俗である。つまり、宮﨑神宮の例祭での「シャンシャン馬」は、単なる祭礼の神賑行列ではなく、鵜戸神宮へと参詣した県内の婚礼習俗を、形を変えつつも現代へと受け継ぐ大切な行事なのだ。