共生へ――現代に伝える神道のこころ(20) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)

恵比寿ガーデンプレイスの一角にある恵比寿神社は、同施設が平成六(一九九四)年に竣工した際、現在の社殿に建て替えられた

日々の祭祀において欠かせない新酒

「御神酒(おみき)あがらぬ神はなし」といわれるように、各神社では日々の祭祀(さいし)において「神饌(しんせん)」と呼ばれる神に奉る食事に、米や餅とともに、米を用いて醸造した酒を必ず供える。酒がなくては、日本の神祭りは始まらないといってもよいほどだ。現在、各神社で供えられる神饌の順位は、神社本庁が定めた祭祀規程に基づくが、その規程ができる以前から、酒は米や餅とともに神社に供えられる神饌の中でも、中心的な存在となってきた。そのことは、祭祀の際に奏上される神職の祝詞(のりと)の多くに「神饌神酒種々の味物(ためつもの)を献て奉りて」と、酒を献じ奉る一文が記されていることからも明らかだろう。

さらには、神社によっては古くから伝わる特殊な祭祀を斎行するにあたり、甘酒のような一夜酒的なものも含め、神社内で酒を醸して神事を斎行することもある。特に濁酒や清酒などを税務署の許可を得て境内で醸造し、神事に用いている神社の数は現在40社余と多くない。それは明治二十九(一八九六)年に酒造税法が制定されて以降、醸造のための「酒類製造免許」が必要となったこともあって、祭祀用であっても容量・使用期間など税務署への詳細な申告や、当局による製造した酒の検定確認、酒税の納付など事務的な手間が多いことも理由の一つだ。清酒の製造許可を得ているのは出雲大社など数社に過ぎず、それゆえ神社で自ら醸造して行う神事の大半は濁酒などの雑酒を用いたものである。これら40社余のうち約半数の社では、古くからの醸造方法である「どぶろく仕込み法(蒸米=むしまい、麴=こうじ、水の全量を一度に桶に仕込む手法)」にて神事用の酒を醸造している。出雲大社では、酒殿にあたる御供所(ごくうしょ)と呼ばれる施設で日々の祭祀で供える酒を仕込むが、境内の御饌井(みけい)と呼ばれる井戸で水を汲(く)み、仕込み水に用いている。また、11月の古傳新嘗祭(こでんにいなめさい)では古式に則(のっと)り仕込み醸した「醴酒(ひとよざけ、れいしゅ)」と呼ばれる特別な酒が供えられる。

最後に東京における酒にちなむ社の話題を二つほど述べておきたい。一つ目は、明治神宮である。同宮には毎年多くの農水産物が奉納されるが、菊正宗や大関など神戸灘の酒造家らで組織された甲東会と、明治神宮全国酒造敬神会員らによって奉納された216個の日本酒の菰樽(こもだる)が、第二鳥居前の参道脇に立ち並び、その姿は壮観である。

もう一つは、東京都渋谷区の恵比寿ガーデンプレイスの一角にある恵比寿神社だ。同社の鎮座地は、恵比寿ガーデンプレイスに再開発される以前、サッポロビールの工場であった。同社は、明治二十七(一八九四)年にサッポロビールの前身である日本麦酒醸造会社が、えびす大神(蛭児大神)を祀る兵庫県の西宮神社から御分霊を頂いて工場の鎮守社として創建した社で、再開発後も商売繁盛や開運招福を願う人々の参詣が絶えることがない。

神社では祭りの後に神々に供えた神饌と神酒を頂き、参会者が共に語らう共飲共食の「直会(なおらい)」がつきものだが、コロナ禍にある現在の社会情勢では、この直会一つとっても旧慣に戻すことが難しい状況にあることは言うまでもない。百薬の長と呼ばれる酒と神々の縁に思いを馳(は)せつつ、ぜひ日々の生活と健康を支える飲食の重要性を改めて見直したいものである。
(写真は全て、筆者提供)

プロフィル

ふじもと・よりお 1974年、岡山県生まれ。國學院大學神道文化学部教授。同大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期修了。博士(神道学)。97年に神社本庁に奉職。皇學館大学文学部非常勤講師などを経て、2011年に國學院大學神道文化学部専任講師となり、14年より准教授、22年4月より現職。主な著書に『神道と社会事業の近代史』(弘文堂)、『神社と神様がよ~くわかる本』(秀和システム)、『地域社会をつくる宗教』(編著、明石書店)、『よくわかる皇室制度』(神社新報社)、『鳥居大図鑑』(グラフィック社)、『明治維新と天皇・神社』(錦正社)など。

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