利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(67) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

国葬から生まれゆく新しき平家物語?――宗教的叡智と謙虚さの徳

もっとも、この「奢り」は安倍元首相だけのものではないだろう。平清盛が高熱で急死して、17年後に平家一門は滅亡する(1185年)。その「奢り」は一門が大なり小なり共有していたがゆえに、一門の滅亡は不可避だった。

国葬で友人代表として追悼の辞を述べる菅義偉元首相にせよ、岸田文雄現首相にせよ、後継政権にも権力の奢りはなかっただろうか。コロナ感染状況は、感染者数が7週連続で世界首位となり、死者数もこの期間に2番目となった(9月4日時点)。円安はさらに進行して、値上げが相次ぎ、国民の間に生活苦が広がっている。それにもかかわらず、政権は国葬や原発推進以外には、相変わらずほとんど何もしていない。もし国民の声を謙虚に「聞く力」を持っているのなら、このようなことは起こらないだろう。

「権力は腐敗しがちであり、絶対的権力は絶対に腐敗する」――これは、英国の歴史家ジョン・アクトン卿の名文句であり、専制権力に対する警句だ。前号(第66回)で書いたような政治的・宗教的腐敗は、まさにこの典型そのものである。

もっとも、奢りは権力者だけではなく、多くの日本人にも広がっていたように思える。近年、テレビでは「日本はすごい」というようなメッセージを含む番組が氾濫していたし、コロナ問題初期には、欧米に比して感染者数が少ないとして、日本の対応を自画自賛する声も少なくなかった。ところが、実際には日本経済は衰退しており、円安が進んで、いつの間にかコロナ感染状況は世界一になっている。この実態を直視して、自分たちの在り方を自省する勇気が国民にも必要だ。

為政者に、新聞や雑誌で「奢りを反省して謙虚さを取り戻せ」と書いても、時すでに遅く、聞く耳を持たないかもしれない。それならば、日本人全体に私は願いたい――優れた国民的物語を創造して伝承した先祖の宗教的叡智(えいち)を、この機会に取り戻し、更新することを。

平家物語は、無名の琵琶法師たちが語り伝えた宗教的叡智の宝庫である。かつて国民的歴史作家・吉川英治は『新・平家物語』(朝日新聞社、1950~57年)を書いたが、今は自らの意思とは無関係に国葬を強いられる日から、死者を悼(いた)みつつ、国民一人ひとりが新しい平家物語を紡ぎ出すべき時なのかもしれない。それによって、一人の人間の死の追悼の中から、死へと至ってしまった過程を振り返りつつ、苦い教訓を自らのものとし、謙虚さの徳を改めて体得することができよう。こうして、私たちの生きている時代の苦い経験を子供たち、そして将来世代へと語り伝えていくことによって、国民的な宗教的叡智が再結晶し、後世への歴史的遺産として輝くことになるのかもしれない。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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