共生へ――現代に伝える神道のこころ(13) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)

神名が彫られた三神塔や五神塔、女神の地神像も

加えて、神奈川県や東京都多摩地域、千葉県、埼玉県に見られるような「地神」や「堅牢(けんろう)地神」などと書かれた石塔の他に、五角形の石柱に「埴安媛命(はにやすめのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、大己貴命(おおあなむちのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、少彦名命(すくなひこなのみこと)」の五柱の神名を刻んだ五神名地神塔も徳島県や兵庫県の淡路島、香川県東部、岡山県南部に多く見られる。徳島県内の地神塔は金沢治氏の説(『日本の民俗36』)によれば、富田八幡宮の祠官である早雲古宝の進言により、江戸時代に藩主導で地神信仰が拡大したこともあって、その祭儀や石塔は、おおよそ天明元(一七八一)年に京都の市井の学者である大江匡弼(ただすけ)が書いた『春秋社日醮儀(しゅんじゅうしゃじつしょうぎ)』に基づくものであると考えられている。岡山県内では、自然石に「地神」と彫っただけの地神碑も多い。顧みると小生の実家は盆地地帯であったため、「水神」碑はあまり見なかったものの、小生も幼い頃は田んぼの畔(あぜ)と道路との間にひっそりと建つ地神や道祖神、塞の神などの石碑を通学時などに眺めていたように思う。

また徳島県内には五神塔のほかに「大山祇命(おおやまづみのみこと)、句句廼馳命(くくちのみこと)、罔象女命(みつはのめのみこと)」の三神を記した三神塔と呼ばれる石塔も点在する。同じ地神塔でも地神と彫った塔以外に、具体的な神名を石に彫り込んだ五神塔もあり、変わったものでは女神の地神像も見られる。

今回は「サイノカミ」に始まり、土地の神や農耕の神である「地神」のことについても述べてみた。柳田國男氏が民俗研究者らと道祖神などについて意見を交わした『石神問答』から百十年余。古代中国には、「社」と呼ばれる土地の神と「稷(しょく)」と呼ばれる穀物の神を祀る祭壇の双方の総称である「社稷(しゃしょく)」がある。この「社稷」は先祖を祀る「宗廟(そうびょう)」とともに、古代中国では国家祭祀の一つとして重要視されていた。一方で、前出の本居宣長は、その著『玉勝間』において、「神社を、後世の人の、それは宗廟ぞ、それは社稷ぞなど、かしこげにいふは、から國ごとのわたくしごと也(なり)」として、『日本書紀』の文中にある「社稷」も潤色の漢文であって神社のことを指すものではないと解釈している。我が国では土地の神、農耕の神は国魂神(くにたまのかみ)や大土御祖神(おおつちみおやのかみ)、稲荷神、天神などのように神社に祀られる神のほか、地神塔という形で講を中心とした民間信仰としても祀られ、地蔵や馬頭観音などと同様に田園地帯の一角や都市近郊の道路などの片隅に今もひっそりと残されている。こうした光景からも我が国における神々の共生の姿の一つをうかがい知ることができよう。

プロフィル

ふじもと・よりお 1974年、岡山県生まれ。國學院大學神道文化学部准教授。同大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期修了。博士(神道学)。97年に神社本庁に奉職。皇學館大学文学部非常勤講師などを経て、2011年に國學院大學神道文化学部専任講師となり、14年より現職。主な著書に『神道と社会事業の近代史』(弘文堂)、『神社と神様がよ~くわかる本』(秀和システム)、『地域社会をつくる宗教』(編著、明石書店)、『よくわかる皇室制度』(神社新報社)、『鳥居大図鑑』(グラフィック社)、『明治維新と天皇・神社』(錦正社)など。

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