共生へ――現代に伝える神道のこころ(13) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)
民間信仰で奉斎される石碑や石塔 我が国における神々の共生の姿が
地域神社の調査でまちあるきをしていると、今でもふと、路傍の石碑や石祠(せきし)、石像などに目を奪われることがある。小生が幼い頃、お盆に家族でお墓参りをした帰り、村境にあった石碑の存在が気になったことがあった。その石碑が何であるかを父に尋ねると、それは「サイの神さん(サイノカミ)だよ」と教えてくれた。さらに父は、石碑の近くに据え置かれていた力石(ちからいし)の意味合いに触れ、かつてこの石を用いてムラの力持ちを決めるために、村の若者らが集まって力試しを行い、その様子を見物する人々で賑(にぎ)わっていたという民俗行事の様子をも付け加えて話してくれたのを思い出す。
父が教えてくれたこの力試し行事は、昭和三十~四十年代の高度経済成長期の訪れとともに、小生の生まれ育った地域では民間習俗としては行われなくなってしまったが、岡山県美作(みまさか)市に鎮座する真言宗寶鑰山(ほうやくさん)顕密寺にて行われる「五大力餅会陽(ごだいりきもちえよう)」はいまだ健在だ。この力餅会陽は、上下段二つの巨大餅と木製の三方を併せた総重量185キロの餅を運ぶ奇祭として知られる。起源は承久三(一二二一)年に後鳥羽上皇が隠岐島に配流される途上、国家の安泰と開運招福を祈願する折に献上された大きな重ね餅にあるとされる。以来、会陽が行われる際に顕密寺に参拝し、力餅に触れることで厄除けになり、福智をも授かるとの言い伝えがある。力自慢のみならず、全国各地から多くの人々が見物に訪れ、賑わう祭事だ。
また、広島県福山市の沼名前(ぬなくま)神社と住吉神社には、境内にそれぞれ19個、3個の力石が奉納されている。この力石は、100キロ~200キロの重さがあり、重量や製作年代、奉納者の名前が書かれている。江戸時代に海上安全の祈願を込めた祭礼の折に、鞆(とも)の浦港で荷役仕事に従事する仲仕が力比べをするために用いたものだ。そのため、現在は「鞆ノ津の力石」として一括して福山市の指定文化財となっている。関東地方でも神社などに力石が多数残存しており、高島愼助氏による『神奈川の力石』という研究書もあるほどである。