利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(54) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

祝祭の陰の感染爆発と患者放置の棄民政策

天皇陛下は開会式で、開会を「祝い」という表現を通例の表現に代えて「記念する」と述べられた。感染増大の懸念に鑑みて、この五輪を祝福するとは言えなかったからだろうと推察されている。

現実に、菅首相の言う「安心安全」な五輪の開催中に、感染爆発と医療逼迫(ひっぱく)が生じてしまった。五輪開催中に感染者は毎日、前週よりも急増して、今では東京の新規感染者はしばしば4000人を超え、検査態勢が不十分なために実際の数を推定できなくなってしまっている。全国では2万人を初めて上回り(8月13日)、かつてない感染激増が国内で起こって、西欧での感染爆発・医療崩壊や、大阪での医療崩壊(4月)と類似した悪夢が現出しつつある。

金メダル選手をツイッターで祝福することに現(うつつ)を抜かしていた菅首相は、この現実に直面して、あろうことか、感染者急増地域では「入院を重症者や重症化リスクの高い患者に限定してそれ以外は原則的に自宅療養とする」という新方針を8月2日に打ち出した。日本で言う「中等症2」はアメリカの重症に近く、呼吸不全があって酸素吸入が必要な場合である(「中等症1」は肺炎など)。日本の「重症」とは集中治療室での治療や人工呼吸器が必要な「重篤」な状況を意味するから、この新方針は、実際には酸素投与が必要な患者まで入院をさせないことであり、症状の急激な悪化による死者を生み出してしまう。

これは、コロナ感染者を見殺しにしかねない患者放置策であり、「自宅療養」という名の棄民政策と言わざるを得ない。昨年のお盆をはじめ日本政府はコロナ感染増大に対して繰り返し機能停止状況に陥ってきた(連載第42回)が今夏にはついに、必要な医療を受けさせないという暴挙に出ようとしたのである。さすがに、これには与党の公明党や自民党からも撤回要請が出されて方針は修正されたものの、野党の国会召集要求を無視するという違憲行為を続けて、対策を公共的に議論する機会すら封じている。

東京都の報告によれば、現在は「家庭内」での感染が最も多く、デルタ株が「人類が経験した呼吸器疾患のウイルスで最大の感染力」(山中伸弥・京都大学教授)と言われていることを考えると、自宅にとどまらせると家族や同居人にも感染して次々と倒れるという悲劇すら生じかねない。大量の検査と隔離という自明の方策を怠ってきたために医療崩壊が生じたという政策的失敗を認めて責任者は謝罪し、第5波を沈静化させて第6波以降に同じ事態が繰り返されないように、医療態勢の抜本的な再構築に即刻舵(かじ)を切らなければならない。

知恵と自制による自衛策の勧め

いくら東京に非常事態宣言を出しても、一方で五輪を開催するのは、ブレーキをかけながらアクセルを踏むような矛盾した政策だから、人々の行動自粛につながらず、五輪そのものによる感染増とあいまって、深刻な結果を引き起こした。今や高熱が出ても、保健所には電話がなかなかつながらず、入院が難しくなり、「自宅療養」とされている人々が全国で7万人を超え(8月10日)、そのまま亡くなった人まで次々と報じられている。五輪によるお祭り騒ぎが終わった後に、人々はこの現実の脅威に向き合っている。これが“コロナ敗戦”の実態であり、人災に他ならない。

政治が責任を放棄している以上、私たちは自衛する他ない。第38回で述べたように、希望を持ち続けポジティブな感情を維持して、十分な睡眠をとって心身を整え、美徳と強みを発揮して、お盆や夏休みにも自粛をさらに徹底する他ない。持てる知恵と自制の美徳を最大限発揮することが必要だ。

しかし今は変異株によって感染力が強まっていて欧米同様の感染水準になっているから、さらに自衛策を強化する必要がある。私自身は、人と接触する外出を徹底的に控えるとともに、高性能マスク(KF94など)に切り替えた。ウレタンマスクや布マスクは感染防止効果が少ないので不織布マスクを使用していたのだが、それでも十分ではない状況に悪化してしまったからだ。電車などにおける三密(密集、密接、密閉)回避はもちろん、買い物などのような必要時にも、――最近はあまり言われなくなっているものの――社会的距離2メートルを可能な限り維持するように努めている。

またワクチンを接種した人も、油断は禁物だ。免疫がつくまでに接種後1~2週間は必要だし、その後の感染例も相次いでいる。さらに自分が発症しなくても他人に感染させる危険はあるから、他者への慈愛や配慮に基づいて、マスク着用をはじめウイルス対策を接種後も継続しなければならないのである。

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