利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(42) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

国家が機能停止して迎えるお盆

お盆を迎えた。死者に思いを馳(は)せる時である。通常の年ならば都会の人々が実家に帰省して、なかなか会えない家族・親族と顔を合わせ、墓参して先祖を供養する。

日本の伝統的習慣ながら、熱心な仏教徒でなくとも仏教的な世界観のもとで死者に心を向ける機会でもある。『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』という経典があって、そこで旧暦7月15日に儀式を行うこととされているから、新暦で1カ月後のこの時期に先祖供養をするのである。

でも今年は帰省を控えた人も少なくないだろう。新型コロナウイルスの新規感染者が緊急事態宣言時のピーク(4月11日の720人)の2倍くらいになりつつある(8月7日に1605人)からだ。この感染症が猖獗(しょうけつ)を極めたヨーロッパでも、徐々に鎮静化しつつあるというのに、グラフで見れば、日本の感染者数は6月後半から急角度の再上昇カーブを描いており、人口比ではイタリアやイギリスなどを追い越した(8月10日時点)。

憂慮の広がりにもかかわらず、政府は東京だけを除外して「Go Toトラベル」事業を強行し、日本中に感染が広がりつつある。だから、心ある人々は帰省を自制せざるを得なかったのだ。野党が政府に説明や適切な対応を求め、憲法第53条の明文規定に基づいて国会の召集を求めているのに、内閣は応じなかった。「合理的期間内」に召集しないのは法的義務に反する(那覇地裁判決)から、憲法学者の石川健治東京大学教授ら有識者は、「違憲行為の常態化」と批判している。

このままでは感染が拡大し、経済活動も再び難しくなる。経済再生を優先しようとして、逆に経済を破綻させつつあるわけだ。危機の再来に暗い気持ちになっている人も多いだろう。いつになれば終わるのかと私に聞いてくる人もいる。私の答えは、「日本政治の動向に多くがかかっている」というものだ。

各国の現状の相違は、一義的には政治の帰結だからだ。ニュージーランドでは100日の間、新規感染者が出ておらず(8月9日現在)、アジアでも台湾や中国・韓国ではほぼ鎮静化している。これらの国々では通常の生活が戻ってきている。逆にブラジルやアメリカといった政府が積極的対策を講じようとしない国々は相変わらず深刻な状況に喘(あえ)いでいる。

世界中で同じように危機が襲ってきたが、脱出しつつある対処・成功国と苦しみ続ける対処・失敗国――その最大の差は、政府が感染症を封じ込めるために、危機意識を持って真剣にこの大問題に向き合い、経済的損失に惑わされずに生命を救うために最善を尽くしたかどうかにある。WHO(世界保健機関)が初めから訴えていたように、徹底した検査をすべく全力で体制を整えて必要な法改正や予算措置を講じていれば、日本も今頃は成功国の一つとして日常的な生活や経済活動に戻れたはずだし、お盆には故郷に行ったり、レクリエーションを楽しめたりしたはずだ。

そうならずに国中が不安や焦燥に包まれている理由は、緊急事態宣言の解除後に政府が対策を怠り、経済再生を優先して実効的な感染症対策をほとんど停止してしまったからだ。私は国家が内側から瓦解(がかい)することを危惧して“国家護持”を祈ってきたが、この点において国家はついに機能停止に陥ってしまったと言わざるを得ない。国家の命運がかかる大危機に関して政府は憲法を蹂躙(じゅうりん)して国会を開かず、リーダーは国民の不安に応えるメッセージを示さず、無為無策のままに休んでいて、国民を疫病(感染症)から守ることを放棄してしまっているからだ。

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